2001年01月26日

今日は、写真家・長倉洋海さんの講演会の日です。昨日の新聞の催し欄で見つけ、僕は、ときめきました。僕には、たっくさん憧れの人がいますが、長倉さんも憧れの人の一人だったんです。

だから、今日の図書の時間、僕は長倉さんの写真集「サルバドル」を4年生のみんなと一緒に見たんです。ゲームの中での戦闘で相手を破壊しつくすことを喜び、残酷な表現にうけを狙うところがある子どもたちに、暮らしの中の戦争を、ちょっと見てほしいという気持ちもありました。4年生のみんなは、なんかう〜んと素直な目で、長倉さんの写真を見ていて、気になるページでは「ここに何って書いてあるの?」と、説明文を読むことをせがみました。ちょっと、うれしかったな。ちなみに、市場で段ボール箱を頭にのせ、こちらを見ているお婆さんの写真は、なぜか好評でした。「強そう!」と声が出ました。長倉さんの講演を聴き、そのお婆さんは、物乞いのお婆さんであったことを、今し方、知ったんですけどね。

さて、年休を1時間とり、新幹線で仙台に行き、講演会場に向かいました。来ている人の中に、知り合いがいないか、見渡しましたが、いませんでした。講演会の前半は、スライドを見ながらの講演でした。

写真を見ながら、話を聴きながら、まず第一に思ったことは、名前がたくさんでてくるということです。これ、うれしかったです。世界のあちらこちらの町に住む人の名前が、いっぱい出てきて、しかも「これは、3歳のときです。〜」「これは、5歳で〜」「これは、10歳のときで、〜」「そして、この写真は17歳の〜」と、長〜い付き合いがあるっていうのも、いいなぁと思いました。

アフガニスタンのマスードたちに、傾ける長倉さんの情熱も印象的でした。権力・暴力と闘っている闘士って、いろんな姿が、いろんな立ち方があるもんだと、思いました。

エルサルバドルの写真。物乞いのお爺さんが、人がいっぱい歩く道の真ん中に座って、手のひらだけあげている。そこに、誰かが、コインを置いている。そんな写真を見ながら、長倉さんは言っていました。

誰も、じゃまだとか、どこかへ行けとか、言わないんです。ぶつからないように歩き、くるっと振り向いて、コインを置いていく。市場の前なので、釣り銭とかなのかもしれません。みんな貧しいんですけど、貧しい人を助けることが、自然な姿なんです。初め、貧しい村に行くとき、物を盗られるんじゃないか、殴られたりするんじゃないかって、思って行ったんですけど、そういうことはなかった。先入観。そう思いこんでいたのが、恥ずかしいです。みんな、優しいんです。本当、優しいんです。そんな優しい人たちの国に、世界の矛盾が集められて、内戦になっている。内戦の国をいろいろ取材してきたけれど、みんな優しい人たちなんです。そして、戦争を終わりにしたいと一番強く思っているのは、戦っている本人たちなんです。それを、遠い国から、戦いをやめなさい、戦いを止めたら経済援助をする...とか、言っているのは、そこで暮らす人を理解せず、利権絡みの国なのだと思います。

僕は、時代なり、社会なり、事件なりを、自分と関わりなく評論し、読み解いてしまう人が、好きじゃないんです。そういう人を疑います。さっぱり子どもの顔が見えない「教育」の話とか、毎日の暮らしと関係のないイベントとしての「福祉」の話とか、嫌なんです。それって、嘘じゃん!って、言いたくなるんです。役割としてしゃべっている姿を、自分ではやらない正義を誰かに無責任に押しつける姿を、嫌悪するんです。

だから、長倉さんの、話は、よかったなぁ。僕は、まだ何も大きなことはしていないけど、なぜか、僕は間違っていない!という気持ちになれました。講演後、長倉さんの本に、4年生みんなの名前をサインしてもらい、9時の新幹線に飛び乗りました。行きの新幹線の僕と、帰りの新幹線の僕とでは、きっとどこかが違っていたはずです。そうそう、長倉さんのサインに、ほっほ〜、僕調がどっか入っているよっ!って思い、嬉しくなりましたっけ。

鳥のように自由に
川のようにゆったりと