昨日へ     2001年06月10日     明日へ 

今日は、午後から仙台でした。「別姓通信」の仕事があったんです。風邪引きの連れ合いぴよさんと一緒だったので、四輪車で出かけました。ひさしぶりです。いつものエルパーク仙台で印刷して、まとめて、郵送。夕方に終わり、ぴよさんはバスで古川へ、僕は介護なので名取。上の写真は、名取に向かう渋滞で、バックミラーに映った夕陽です。物言わぬ鉄の物体としての四輪車。心なしか、みんな疲れた表情です。

先日あった児童殺害事件について、やっぱり沈黙するわけにはいきませんね。僕が感じたことを少しだけメモしておきましょう。

子どもたちの安全は、何より第一に考えなければいけないことです。けれども、子どもたちの世界を、実社会から隔絶することを保護と呼ぶのは、教育機関として情けなくもあります。もう随分昔のことのように思われるO157の事件の際も、安全管理が言われました。それは、過剰なほどだったと僕は感じています。学校は、暮らしの場なので、無菌室にはできないのです。そして、それは本当に子どもたちの成長のためになっているのか、僕には疑問でした。明日、学校に行けば、きっと今回の事件によって出されただろう通達の伝達があることでしょう。けれども、「問題」は、きっとそんな対症療法的な局面を、大きく越えているように、僕は感じています。

構造改革だの、タブーを恐れずだの、口当たりのいいことしか行っていないこの国の権力者たちを、僕は、はなっから信用していません。だいたい、様々なものを民営化するということは、より一層競争社会を激化させるということ。その一方で、奉仕活動の義務化を強制しようとしている。これって、矛盾です。互いに戦いなさい、そして助け合いなさい...だなんて。結局のところ、全部場当たり的なんです。結局のところ、権力のある者、金を所有する者の、社会なんです。

僕は、懐古主義かもしれません。隣近所で、みそを借りたり貸したりって時代が、懐かしくて仕方ありません。玄関に鍵を掛けない佇まいが、恋しくて仕方ありません。より安いスーパーに、四輪車で買い物に行ってまとめ買いするよりも、サンダルつっかけて近所のなんでも屋さんからお豆腐買ってくるほうが、暮らしって感じなのです。自分の損得だけしか見ないことが、カリスマ主婦(主夫)だなんて、なんかへんだなぁと思うんです。談合社会・なれ合いばかり・おまけに親分の言うことは絶対...そんなかつての嫌なところは、嫌なのですが、妙にドライな現代も、僕は嫌なのです。

そんなドライな現代は、いつから始まったのでしょう。僕が幼少の頃は、まだ自家用車も珍しく、公務員の父さんは5時には帰ってきて僕とキャッチボールをしたり、一緒に相撲を見たりしていました。カラーテレビに感動し、新しいものを買ってもらう誕生日は、年に一度でした。でも、誰にも一度は誕生日がありました。

競争の社会は、ユタカさをもたらしたのかもしれません。と同時に、「無駄な挨拶はしない」と言わんばかりに、自分だけの幸せの輪が、人の輪も踏みにじりつつ、広がり、いつの間にか、人の足を踏んづけたり、人の背中にあぐらをかいていたり、ましてや人の暮らしを、命を踏みにじっても、痛まない心が「普通」になったように、僕は思えます。痛みは、まだあるか? 僕は僕自身に問います。そして、みなさんにも。痛みは、まだありますか?

痛みを感じる人は、ひょっとすると、正直ゆえに不幸です。痛みを感じず、人を傷つけていることに気付かない人は、ひょっとすると、不条理なことに幸福です。しかし、それは、間違っています。僕は、間違っていると、このままではいけないと、そう感じます。

痛みを感じる人は、その痛みを、どうすればいいのでしょう。その痛みは、その人自身のせいなのでしょうか。苦しんでいる人は、助けられるべきです。それが、暮らしというものです。互いに助け合うのが、人間らしい行いなのではないかと、僕は、きれいごとと言われても、やはりそう思うのです。孤独な痛みには、どんな活路が見いだせるのでしょうか。

生まれつき犯罪者である人は、どこにもいません。人は、社会の中で、成長します。社会が、人を育てます。犯罪を犯す人がいたなら、その社会も、検討されなければなりません。その責任を苦しんでいる個人に押しつけ、切り捨てることは、社会をより一層暮らしにくいものに、人を育てにくいものに、していくことにちがいありません。

メディアに価値観を委ね、季節がカレンダーでしか分からなくなって、無駄な挨拶をしない社会で育てられた少年少女が、そろそろ少年少女の親になります。今回の事件だけでなく、近年の一連の事件は、社会を見直す警笛です。

権力者はことも簡単に、保安処分を口にします。危険な人は、排除すべきと。ハンセン病で隔離政策を反省したのかと思ったら、やはり人気とりとしての判断だっのですね。人権問題は、軽はずみな、お調子で、ぱっぱと処理できるものではないのです。

僕は、今、取り調べに疲れた彼を、思います。そして、傷つけられた子どもたち、子どもを失った親たちの、眠れない夜を、思います。こんな夜、権力者は、何を思っているのでしょう。

おやすみなさい。

去年の今日