昨日へ    2001年08月16日    明日へ

今日は、アパートで目を覚まし、なんだかびっくりしました。そっかぁ、帰ってきちゃったんだぁ。

昨日までの日記を更新し、メールに目を通し(返信はまだです。ごめんなさい。)、吉村昭の本の続きを読み、昼から古川文化会館に行きました。映画です。スピルバーグの「A・I」です。

先日、「猿の惑星」を見たとき、「A・I」は既に上映されていましたが、連れ合いのぴよさんは「あの子を見るだけで、泣くと思う」と、見ないつもりのようでした。じゃあ、ということで、今日、一人で見に行ったんです。

やっぱりスピルバーグだ...と思いました。あちらこちらに、これまでの彼の作品の断片を感じました。そして、やはり小手先系を感じ、僕の評価はあまり高くありません。

見始めてすぐに、この設定だけで、ぴよさんにはまずいと、感じました。僕たちは、子どもが欲しいけど、いないカップルです。子どもの名前なんて、もう10年以上前から考えています。名前歴だけで言えば、もう小学校5年生、僕が担任しているみんなと同じ年齢です。「A・I」では、意識が戻らない息子を看病する母親が、登場していたんです。

辛い。だから、そう思いました。きっと、あの少年が、映画のラストで元気になっちゃうんだ...と、思っていたら、すぐ元気になっちゃって、その後は、なんとなくスピルバーグでした。直球系の映画が好きな僕は、北野武の「HANA・BI」に勝る涙映画に、まだ出会っていません。

昨日までの旅で、「平和」やら「幸せ」やらを、考え続けました。バイクに乗るといろいろなことを考えられるんです。シェルターに覆われていないものの、誰にも妨げられない、小さな空間があるんです。

今回、うんと考えたのは、「子どもの幸せ」。とかく、あちこちで「子どものため」という言葉は使われます。けれども、それって、本当に「本人」のためになっているのだろうか、と考えます。「本人を思って」とは「本人」の思いとは、別かもしれません。「子ども」は、いつ自分の生き方を決めていくのでしょう。いつまでは、決められないのでしょう。

子どもは、いえ、私たちはみんな、自分の親も、生まれる(産まれる)場所も、選べません。生まれたところが、始まりです。運命という言葉は、まるで諦めのようなので、僕はあまり使いません。でも、それはあたかも運命です。しかし、生き方は、定められてはいない。本人が、切り開いていくものです。そして、本人の意思や希望を、僕はサポートする仕事をしたいと思っています。

ディズニーランドのコマーシャルをテレビで見ると、いつも思います。僕は、行ったことがないし、人混みが嫌だから行かないけど、○○ちゃん(来るべき?子ども)が「行きたい」と行ったら、行こうとするだろうなあ。欲しがるものを、買い与えてしまうだろうなぁ。

今日、「A・I」を見ながら、自分はどんな意志を、どのようにして持ち、どのように過ごす子どもであったのだろう?と考えました。僕の今は、きっとそんな頃から地続きです。「親の願い」と「子どもの幸せ」そして「自分の意志」...辺りを、ちょっとこだわってみようと思っているんですよ、父さん母さん。

夜、アパートのすぐそばで、お祭りがありました。正直言って、うるさいくらいの祭り囃子でした。でも、9時になったら、ぴったりと終えたのには、驚きでした。写真は、踊りに入ろうかって迷っていた子です。

去年の今日