昨日へ    2001年08月28日    明日へ

伊豆の犬くん 

ここのところ、思うこと、それは「子どものため」ということです。

「子どものため」という言い方をするとき、それは本人が言っているんじゃないですよね。たいていは、大人が子どものことを思って、何やらと言っているんです。「子どものため」は、子どもに対する期待やら、願いやら、大人側の任務でできています。そして、それはたいていの場合、「善」として、語られます。「愛」だったりもしますよね。

でも、いろいろな「子どものため」があって、僕は悩んでしまいます。処世術を伝授することが、当面のテクニックとしては、まさに「子どものため」なのですが、本当にこれでいいのだろうか、と考えることがあるんです。たとえば、自分の身を守る術・差別を受けないように<かわす>テクニック。本当に、「善」と言えるのだろうか? 

「子どものため」の向こうにある「子どものシアワセ」とは、いったいどういうものでしょう。「子どものため」と、本人としての「僕のため」との間には、どのくらいの距離があるでしょう。いつから「子ども」は、「子ども」を脱却するのでしょう...。

仕事が忙しいときに限って、こんなことをあれこれと考えている僕です。陽もずいぶん短くなりました。学校帰りのバイクが、半袖では辛くなりつつある今夜。僕は、アパートに戻ってからも、若干の時間外労働をしているところです。よくないなぁ。

今日の一枚は、8/13の伊豆の峠の茶屋の犬くんです。いい顔です。

去年の今日