昨日へ    2001年11月25日   明日

仙台の夜。銀杏の道。

表現の自由。良心の自由。ここのところの、僕のよりどころです。そして、課題です。今日も、報復戦争反対のデモに参加しました。遠い国の戦争...ではない私たちの戦争が、僕の関心事なんです。

僕は、「正義の人殺しなんてない。」と表現します。「しらんぷりは、戦争を助長する。いじめとおんなじだ。」とことばにします。僕は、誰にも命令されず、報酬ももらわず、僕の良心のみに従って、声を出すんです。

こんな、小さな個人の声も、体の内側に蓄えられたままでいないなら、誰かには届くかもしれない。届くはずです。そう思いながら、仙台一番町の雑踏の中、スケッチブックやプラカードを掲げ歩くんです。

今「戦争に反対します」と声をあげることは、罪に問われません。表現の自由、良心の自由です。けれども、戦争って、国家が、権力が、始め、そして運営していくものだから、中には「戦争反対表明権」を奪いたい人も、きっといるんだと思います。たくさんの人々が「戦争に反対します」と声にすることを、恐れている人たち、権力者たち。

きっと、「戦争反対表明権」を奪いたい人は、言うでしょう。
・あんなことを言っているのは、偽善者だ。
・あんなことを言っているのは、国際貢献を考えない奴だ。
・あんなことを言っているのは、何か組織に動かされている奴だ。
・あんなことを言っているのは、過激派だ。
・あんなことを言っているのは、危険だ。
・あんなことを言っているのは、普通の市民じゃない。
・あんなことを言っているのは、差別されてもいいんだ。
・あんなことを言っているのは、聞かなくていい。
・あんなことを言っているのと、関わると、あんたも痛い目に遭うよ。

僕は、殺したくないし、殺されたくないんです。差別されたくないし、差別したくもないんです。気持ちよく、暮らしたいんです。ちょっぴりの我慢で、重い後悔を、買い求める気はないんです。このページに、こんなふうに書いていること自体を、危険だよと言う人がいるかもしれません。でも、僕が僕として、一人の人間として暮らしている全ての中で、特別なこととしてではなく、思いを口にしているということを、誰かには理解してもらえそうだから、いつも通りに、表現し続けるんです。

秋が深まり、仙台には、こんなに銀杏並木があったのかと、気付きました。まるで、雪が積もったときのように、僕は銀杏の葉っぱの深いところを選んで歩きました。金色の葉っぱが、アスファルトの上で、行き場を探しあぐねている姿は、少し切なかったけれど。

去年の今日