昨日へ    2001年11月29日   明日

11/23 女川の公園

今日は、昼から出張で隣町の小学校へ行きました。視聴覚関係の研究会だったのですが、4年生の授業を参観する時間がありました。メディアリテラシーの授業。いろんなことを考えさせられた授業でした。

メディア・リテラシーとは、ひと言で言えば、メディアが形作る「現実」を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力のことである。最近はコンピュータを使いこなす意味での「コンピュータ・リテラシー」や「情報リテラシー」と混同される場合もあるが、ここで言うメディア・リテラシーとは機器の操作能力に限らず、メディアの特性や社会的な意味を理解し、メディアが送り出す情報を「構成されたもの」として建設的に「批判」するとともに、自らの考えなどをメディアを使って表現し、社会に向けて効果的にコミュニケーションをはかることでメディア社会と積極的につき合うための総合的な能力を指す。(菅谷明子「メディア・リテラシー」岩波新書)

僕は、マスメディア(権力)に飲み込まれない個人の表現・個人の暮らし...を、築きたい人なので、いわゆるコンピュータ社会には、不安があるんです、こんなサイトを持っているけど。要は、自分の地に足の着いた判断力だなあと思っています。悲しいことだけど、世の中には、うそがたくさんあります。だまそうとしている人が、うろうろしているんです。あなたを買いたたいたり、あなたを売り飛ばしたり、あなたを捨て駒にしたり...。そんな人(国家?)が、家の回りを、うろうろしているんです。

そんな状況の中で、人間として暮らしていくためには、「生きる力」が必要です。この場合の「生きる力」は、他者をけ落とししのぐ「生き抜く力」とは、違います。原始時代とおんなじように、仲間と助け合っていく力。何もなくても、知恵を何とか働かせていく力のことです。メディアリテラシーの授業を、僕なりにどう設計するか...新たな課題ができた思いです。

しかしながら、今日の収穫...というより喜びは...隣町の小学校の4年生が、僕のことを覚えていてくれたということでした。子どもたちは、僕を見つけて「あっ!」って顔をしたんです。僕は「?」と思ったのですが、「○○小学校の先生だぁ!」って声が聞こえて、納得しました。彼らとは、2年前に2度一緒に過ごしたことがあったんです。前任校の2年生の担任だった秋、裏山のある前任校に彼らは遊びに来ました。僕は、そのときの2年生と一緒に裏山を案内し、基地を見せたり、リースの作り方を教えたり、蔓のブランコに乗せたり、体育館でドッジボールをしたり...したんです。冬には、逆に、今日行った小学校に2年生の仲間と一緒におじゃまして、みんなで九九の授業をしたり、給食を一緒に食べたり、掃除したりしたんです。そんな2年前のことを、覚えていてくれて、授業中もちらちらこっちが気になって仕方なかった少年。愛しいなあ。授業が終わってからも、手を振ってくれて、僕は何か感謝って感じでしたっけ。

研究会を終え、その学校のK先生とお話をし、僕は川渡温泉藤島旅館に行きました。お湯にとっぷり浸かりながら、独りぼっちじゃない自分を幸せに感じました。垢すりをしていたら、小さな子どもが入ってきて、こっちを見ていました。
「あのおんちゃん、体から油粘土がでてくるよ」
って、言われやしないかドキドキするくらい、もろりもろりと出て、結果的にはさっぱりすっきりしましたっけ。前任校の卒業生がバイトしているガソリンスタンドに寄りました。でも、彼はおらず、ちょっと寂しいかなって感じ。あれあれ、もう12月になっちゃうんですね。

写真は、11/23の女川の公園です。雄勝から女川に来て、港を見渡す公園。とても天気がよく、ベンチにごろりとしている人もいましたっけ。

去年の今日