今日は、夕方から介護でした。介護を終えて、いつものように9時の新幹線に乗ろうと、名取駅まで走りました。何とか、新幹線に接続する東北本線の列車時刻に間に合いました。汗をかきました。駅に隣接するサッポロビール園のライトがきれいでした。いつかここで、ビールをぐいっと飲んでみたいと思いながら、もう何年も過ぎています。
列車が来ないなあと思ったら、10分遅れで動いているというアナウンス。なんてこった! 9時の新幹線には間に合わない! 1時間、最終新幹線を待たなくてはいけない。せっかく走ってきたのに...と思いながら、10分遅れで来た列車に乗った僕は、「仙台駅で、ビールだな」って思っていました。
ちょっと寒いと思いつつ、空気のよどんだ待合室にいるのが嫌で、僕は新幹線ホームに行きました。最終新幹線の22:17までは、1時間ほど。街のネオンの中にデジタルの気温表示を見つけたところ、3℃。ふむ、確かに寒いね。仙台止まりの新幹線からは、たくさんの人が降りてきます。みんな、寒そうな顔で帰っていきます。僕は、高校生の頃に、各駅停車の列車で旅をした頃のことを、思い出しました。
いろんな発見がしたくて、各駅停車の列車でも通過するような駅で、降りるんです。そして、次の駅まで歩けたら歩く。遠かったら、次の列車が来るまで、駅の回りを散策する。そんなことをしたんです。あの頃、宮城県で暮らすとは、思ってもいませんでしたっけ。いつだったか、埼玉のおじいちゃんおばあちゃんち帰りに、伊豆沼のあたり(うめがさわ〜にった)で降りた記憶があります。一番大変だったのは、冬の奥羽本線で、鶴形に降りたときのことです。吹雪の中でした。降りたはいいけれど、どこにも行きようにありませんでした。吹きっさらしの駅。風の通る跨線橋。避難するような店もなく、しかもホームの聞きにくい放送(最寄りの有人駅からのアナウンス)によると、列車は大幅に遅れるとのこと。僕は、どうしようもなく、電話ボックスの中で、吹雪をしのぎました。寒かったなあ、辛かったなあ。それでも、なかなか列車は来ない。僕は、寒さをしのぐために、ホームの横にあった雪かきスコップで、ホームの除雪をしました。なんぼか暖かくなりました。日が暮れてしまいました。ときどき放送がかかるのですが、いい情報はありません。さすがに暗くなってくると、心細く、無理して歩いたり、どこかの人家に助けを求めようかと考えました。と、そのとき、線路の向こうに灯りが見えました。近づいてくる! 僕は、やっと列車が来たことに感激して、手に馴染みつつあったスコップを急いで置き、ザックを背負い、すぐに乗り込める体勢で、列車をホームに迎入れました。けれども、列車はスピードを落とさず、もの凄い勢いで僕の顔の前を行くではありませんか。しかもコンテナを積んでいる貨車、積んでいない貨車の不連続な疾走物! 長い列車でした。僕は、その猛烈なスピードに、動くこともできず、最後の雪煙と、すぐに小さくなった紅い後尾灯に、傷つけられる思いでした。怖かった。電話ボックスにいようかとも思ったのですが、いつ列車が来るかも分からず、僕はまた雪かきをしていました。そして、やっと見えた灯りにも、過大な期待を持たず、もう傷つけられまいと、じ〜っと見つめました。今度は、ゆっくりと僕の前で止まりました。大幅に遅れて来た列車は、何てことなく、何の反省も謝罪もなく、あたりまえのようにドアを開きました。列車の中では、乗客が何てこともなく、普通に座っていました。僕は、列車の座席は、こんなに暖かいものだったのかと、感動しました。
と、鶴形のことを今日の日記に書こうと思っていたとき、微かな揺れが大きくなり、地上3階の新幹線ホームが揺れました。東京から着いたばかりの仙台止まりの新幹線の乗客が、ちょっとざわつきました。でも、外国人乗客が、呆然としている中、他のお客は、何てことなく、階段を降りていました。かなり大きな地震。これはスムーズに帰れないなと思っていたら、案の定放送が入りました。仙台以北は、地震の影響がないか確かめてからの運行になるとのこと。「安全が確認されるまで少々お待ちください」の「少々」とは、どのくらいなのだろうと思いながら、雑誌を持っていてとりあえずよかったと思いました。家に電話をしました。家は、結構揺れたとのこと。駅員さんに聞いてみると、在来線よりも、新幹線のほうが早いということなので、新幹線に乗り、待ちました。結局30分ほど遅れて、とりあえず古川まで動きました。ほっと一息。でも、古川以北の人は、うんと遅くなったようでした。みなさん、大丈夫だったかな。
写真は、地震で揺れている仙台駅ホームでの一枚です。
去年の今日