今日は、学校に行く日でした。先日の忘年会に参加しなかった僕なので、職場の皆さんと、あれこれとおしゃべりをしました。会議を終え、ご飯を食べ、仕事をあれこれして、帰りました。帰る途中で、子どもたちの手紙・プレゼントを届ける用事があり、あるおうちに寄りました。干し柿、ごちそうさまでした。うれしかったです。
今日は、とても雲がきれいで、うれしかったな。遠くまで、よく見える風のない日。僕は、ちょいと遠回りして帰りました。栗駒山を、隣の学校の前から撮りました。
そういえば昨日の夜、珍しくテレビを付けたんです、夜中に。すると筑紫哲也さんの番組をやっていました。パレスチナ・アフガニスタン・アメリカを取材した番組でした。パレスチナへの取材姿勢に、少し疑問を感じましたが、アメリカへの取材には、ちょっと衝撃を受けました。アメリカの子どもたちが
「なぜ、アメリカが攻撃されたか、さっぱり分からない」
「ねたんでいるだけだろう」
「救援物資をたくさん落とせば、平和になると思う」
と言っていたんです。そう考えない子どもも、きっといるとは思いますが、何となく予想していたイメージが、現実で、僕は辛い気持ちになりました。中学校の先生をしているという母親が
「そんな質問(攻撃された理由)をする意図が分からない。そういう質問は、私たちに対して失礼だ」
と言っていたことが、余計に辛かったなあ。しかしながら、この島国ではどうだろうと、考えました。
妻を、母を、姉妹、恋人たちを、そして自身を、強姦された人の、罪を問う声に対して、「そんな事実はなかった」と言う国なんです。
帰宅途中に拉致されて、海を渡って、知らない鉱山に連れて行かれ、食事もなく、休息もなく、賃金もなく、働かせておいて、「そんな昔のこと」という国なんです。
...歴史上のことだけではないですね。今、現在、隣り合っている人の気持ちを、どのくらい推し量っているだろう。自分の「富」だけのために、人を傷付けることに何のためらいも持たないでいやしないか。仕方ないと、切り捨て、見捨ててはいないか。そんなことを考えました。師走の夜が、ふけていきます。去年の今日