昨日へ    2002年03月09日   明日へ

クラスター爆弾

今日は、暖かだったので、僕はバイクです。バイクで、仙台に向かったんです。昼から、死刑廃止連絡会・みやぎの主催する辺見庸さん講演会に、参加したんです。会場のホールは、満員でした。知っている顔がたくさんありました。懐かしい方ともお会いしました。うれしい。僕は、最前列に座りました。

講演タイトルは「なぜ、この国は死刑執行を続け、戦争に参加するのか」でした。トレードマークの帽子を被った辺見さんが登場しました。何というか、思った通りの雰囲気、話し方でした。そして、辺見さんのお話に、僕は勇気付けられましたよ! 僕は間違っていないじゃん!って、感じました。辺見さん、そして死刑廃止連絡会・みやぎのみなさん、ありがとう。

この頃、講演会では、メモなんかとらずに、ちゃんと講師の顔見て話を聞くべきと思っている僕なんですが、いくつかメモを取りました。
・アフガニスタンへの報復戦争は、戦争ではなくリンチ。圧倒的強者からのリンチ。
・悪魔よりも、「善」魔のほうが、たちが悪い。
・「畜群」にならず、例外になる。
・世界の中心は、ワシントンでも、ニューヨークでもない。子どもが飢えているところ。
・皮膚の感覚、匂い...などが大事。

前任校で、環境学習をしていた頃から、僕は「記録できないこと」をもっと大切にしたいって言ってました。味とか、匂いとか、持ったときの感じとか、温かさとか...。「データ」として処理できるものって、所詮「データ」にすぎないんです。利用されるものにしかならないんです。僕は、利用される存在にはなりたくない。いろいろな人と対等に関わり合いたい。だから、森の木々や鳥や虫、真っ赤な木の実や、真っ黒な土とも、対等でありたいんです。自然の神々には、失敬かもしれません。こっただ(こんなにって意味です:方言かな)ちっちゃな僕なんだもの。でも、少なくとも、自然を「利用」する立場であってはならぬと感じているので、体を張って(体を委ねて)、森と向き合うべきと感じていました(感じています)。

そんな僕としては、辺見さんが、クラスター爆弾の破片(一部)を、会場に回していた姿に、大きな共感を得ました。クラスター爆弾は、飛行機から投下して、人を殺傷する兵器です。爆弾の回りに小さな爆弾を付け、その中にギザギザの鉄片を入れてあるそうです。クラスター爆弾が爆発した空は、空一面が銀色になるそうです。ギザギザの鉄片が、2km四方のありとあらゆるものをぐちゃぐちゃにするのだそうです。人間は...誰なのか、性別などはおろか、何人いたかも分からなくなるほどの「威力」を持っているのだそうです。上の写真が、その鉄片です。重く感じました。匂いをかぐと、鉄の匂い。鉄の端々が少しねじれているのは、爆発の熱によるものでしょうか。

教室の子どもたちは、模造紙で指を切っても、画鋲を指に指しても、大騒ぎです。そりゃうそうです!痛いんですもの。しかしながら、上の鉄片が、時速200kmで空一面銀色にして、降る...いいえ、撃たれてきたら...「痛い」では、済みません。感覚としての「リアル」と、そこからの「想像力」の豊かさが、うんと大切と感じられます。

まだ、この星では、殺す人がいます。殺されてしまう人がいます。殺しを命じる人、殺しを命じられる人。自分の親、子ども、恋人を、目の前で殺されていく人、人、人。僕は、毎日、たくさんの人の食べ物を奪って、それを食べているのではないか、そんなことを考えました。殺されていい人は、一人もいない。そんな思いを強く再認識した今日でした。