昨日へ    2002年06月18日   明日へ

オケラの子

一昨日のライブ会議で、「きちんと出逢うこと」について話した僕でしたが、何となく中途半端な言い方をしたように感じています。まあ、後悔と言うよりも、課題を残したって思いです。

自己紹介をどのようにするかという、結構重要な自己規定・自己表現。その話の延長として「イメージで決めつけちゃう」ことについて、僕は話したんです。たとえば「別姓を考える会の会員」となると、少なくない方が「女性?」と考えるでしょう。別姓という暮らし方に疑問をもっていたり、そういう暮らし方を認めないぞという方の場合、「身勝手な奴」「権利ばかり主張して義務を果たさない」「家族を大切にしないのでは?」...と考えるかもしれません。一方、「選択的夫婦別姓に反対する人」となると、「男性?」と、しかも「年輩の男性?」とイメージしがちです。頭の中の絵としては、その男性は眼鏡を掛けていて、どうも怒っている顔です。「保守的」「頑固オヤジ」...そんなイメージでしょうか。...でも、実際は、どうなのかというと....分からないですね。女性で反対している方だっています。若い女性だったり、はたまた「進歩的」と言われている方だったり...いろいろです。出逢っていないのに、イメージだけで完結させてしまうことって、よくあるように感じられます。僕は、いろんな人と、きちんと出逢いたいと思っています。

「イメージする力」は、うんと大切です。そして、「想像だけではダメだ。実際に会っていないのなら、何も言う権利はない」などと言うつもりは、毛頭ないんです。でも、この頃「リアル」が足りないんです。

僕の「存在」は、「リアル」です。僕には、臭いもあるし、重さもある。温度もあるし、汗もある。つるつるしていたり、がさがさしていたり。僕としての「雰囲気」も、あるんです。でも、僕の「データ」は、僕に関わることでありながら、それは僕に関わることに過ぎないんです。それは、僕ではない。

でも、僕に関わる「データ」をもって、僕がどこかで語られます。僕がどこかで「イメージ」されて、ときにはそれが、歩き始めます。歩かされ始めます。僕は、僕の「存在」は、ここにしかないのに。

今週末、仙台市若林区の市民センターで、ジェンダーフリーに関するワークショップをすることになっています。そのときには、「データ」と「イメージ」と「存在」のことを、少し織り込みたいなぁと、思っています。

ああ、やっぱり毎日が、旅のようだ。

写真は、今日の4時間目に、じゃがいも畑の草取りをしていたときに、見つけられたオケラの子です。