昨日へ    2002年09月18日   明日へ

下北の風力発電

下風呂温泉で目を覚ました僕は、窓の向こうが、少し明るいことに、ほくっとしました。窓を開けると、海峡の向こうが明るく、雨は降っているものの、晴れの予感を期待できるにおいがしました。僕は、嬉しい気持ちで朝風呂を浴び、また風呂の窓を開けました。入ってくる風は、波とともにやってきた風。すぐ近くに見える北海道の島影は、帰る場所ではなく、訪れる場所・懐かしむ場所になってしまっているんだなぁと、そんなことを考えました。

宿を出た僕は、大間に向かいました。関心は、原発工事がどうなっているかということ。昨年の夏に北海道から帰ってくる途中で寄ったとき、大間の町のすぐそばに、またしても飽き足らず危険なものを造ろうというのか!と、憤ったのでした。行ってみると、やはり工事は進んでいました。白浜海岸には、巨大なテトラポットが並び、浜の跡形は感じられず、国道も迂回路を新設していました。マグロの一本釣りにも、きっと影響があるでしょう。ああ、このままでいいのだろうか!

大間から、佐井には向かわず、戻りました。途中でんぱつの監視小屋のようなものがいたるところにあるので、監視小屋の人に、何をしているか聞きました。原発工事のトラックの通行をチェックする施設とのこと。むつ市まで続いているとのこと。原発工事の費用は、莫大なものにちがいありません。海に入り、昆布拾いをしているおばさんたちがいました。海での暮らしを、千年後まで、きちんと続けられるようにしてほしいと、僕はそんなことを考えました。

大畑を通りました。二重橋の写真を撮りました。大陸から強制連行された人たちが、作らされた鉄道用の橋。コンクリートでできた橋ではなく、人の汗と命、そして「恨」でできている橋。小泉の訪朝のニュースが、宿のテレビで流れていましたが、歴史の精算とは、いったいどうなされていくのでしょうか。日本軍が殺した人の命も、ニューヨークの事件で殺された人の命も、パレスチナで殺されている人の命も、僕の命も、みんな同じ重さをもった人の命。

尻屋崎に向かいました。久しぶりです。途中、風力発電の風車がいっぱい山の上に立っている様子に驚きました。原発に傷つけられた気持ちが癒されるような、そんな希望を感じました。雨も止み、青空になり、とても嬉しい気持ちになりました。岩屋は、学生時代に徒歩旅行をしたときに二泊した思い出の場所。郵便局下のわき水も相変わらずでした。

尻屋小学校に行ってみました。この校庭でもテントを張ったんです。学校は、新築され、驚きました。でも、あの迫ってくる山は、相変わらずでした。あの山、好きです。尻屋崎の寒立馬も、相変わらずでした。太い脚で立ち、好きなところで糞をしていました。岬には、いい波が立っていました。サーファーが二人いました。沖まで漕いでいったサーファーをしばらく眺めていました。次の波には乗るかな? なかなか立たないサーファー。僕は、バイクを大平洋沿いに南下させることにしました。

あれ?と思いました。まだ六ヶ所には早いぞ、と。そして、驚きました。東通にも、原発が作られている! 道路脇では、おじさんが一人、施設をとりまく囲いの工事をしていました。この下北には、何と囲い(有刺鉄線)の多いことでしょう!

暗くなる前には、家に帰ろうと思った僕は、泊の町を走らず、バイパスを行き、淋代でも写真を撮らず、三沢の寺山修司にも寄らず、八戸を目指しました。走りながら、しょっちゅう上空に爪を立てる戦闘機に、腹を立てていました。

そして、八戸から高速に乗り、雨の中を帰ってきました。途中、いっぱい歌を歌い、それを全部忘れてしまいました。やっぱり、ときには旅に出るものですね。僕が、家に帰ってきてからも、あの風車は回っているし、海峡の波はざぱんざぱんといい、馬たちは好きなところで糞をしていることでしょう。