昨日へ    2002年09月24日   明日へ

 下北・六ヶ所の空

今日の教室は、何だか久しぶりに落ち着いた授業ができて、いい感じでした。ちょいと連日、お疲れモードだった僕としては、何とも癒されましたよ。和むって感じ。つくづく、みんなには、感謝です。

同じ職場のK先生が、昨日僕のサイトを観てくれたとのこと、教えてくれました。嬉しかったな。どうもありがとう、K先生。これからも、よろしくです。

さて、上の写真は、昨日に引き続き下北での一枚です。六ヶ所村の空です。9/18 に撮りました。

学生のときに、下北を歩いて旅行したとき、まだ原発関連の施設はありませんでした。けれども、工事が進んでいました。水俣でも感じたことなのですが、金で郷土を売り渡される感覚が、僕にはたまらないんです。炭鉱火災の事故で、会社側が、
「坑内の人はきっと死んでいる。火事を消すために、注水させてくれ」
と言っていたシーンが、どこか微妙に重なるんです。あのときの怒りが、僕のどこかに種火になっているんです。

さて、下北を歩いた頃、あちらこちらには有刺鉄線が張られ始めていました。僕はその夏、あちこちの学校の校庭にテントを張らせてもらいながら、旅をしていました。1/25000地図を持ち、一日30kmくらいずつ、ぽてぽて歩きました。上の場所は、そのとき地図によると、学校があることになっていて、僕がテントを張るつもりでいた場所なんです。でも、そのとき学校は既につぶされ、校舎が原発関連施設の建設事務所になっていました。僕は、事務所に入り、テントを張らせてもらうよう話しました。もう夕方だったんです。次の集落まで歩く元気もありませんでした。一人だけいた事務員が、承諾してくれました。僕は、有刺鉄線の内側で、テントを張り、お米をとぎました。さて、炊こうかというとき、事務員が出てきました。僕は、何か差し入れをくれるのかと思い、まるで野良犬みたいに走っていきました。すると、テントを張れないというのです。もう張ったんですよ!というと、渋そうな顔で、じゃあ違うところに連れていくよと言いました。どうやら、電話確認をしたところ、上司に許可されなかったようなのです。結局、僕は隣りの学校に連れて行かれ、降ろされました。何だか、屈辱的だったなぁ。

今、学校の建物もなく、有刺鉄線だけが残っていました。この道を通学路にしていた子どもが、かつてはいたのに...今は、アスファルトの国道に、自動車が通過するだけです。電柱には、赤い燈が付いていました。きっと原発関連だと思います。空は明るいけれど、ますます怒りの僕でした。僕の種火は、僕のアイデンティティだから、きっと消さない。