昨日へ     2002年11月22日   明日へ 田尻

いつも忙しいときに限って、歌ができる。メロディは、浮かんでは、すぐに消えてしまう。僕の歌は、どちらかというと、単なることばで、歌というより、詞というより、詩というより、単にことばだ。文書のメモとも言えそうだけど、愛用のVisorには「うたのヒント」というカテゴリーで、貯められている。たまには、見た夢を覚えていて、それを記録することもある。覚えている夢というものは、ろくなものがない。たいていは、辛かったり、苦しかったり。たとえば、こんな感じ。

僕は、カウンセラー。連れ合いは、弁護士。夜の、仙台市北区のマンション。父親。マンション1階。木のおもちゃに囲まれた子ども部屋的スペース。間接照明のフロアー。よくできたソファ。

父親は、眠れない。子どもが心配。管理人のお祖母さんが、不審がって、来る。205号室が空いている。「うちだ!」 急いでいく、父親は、僕よりも若い。いらいらがにじみ出ている姿。

壁には、たくさんの子どもの絵本。白黒のおしゃれなモビール。半円形型のテラス。母親と父親は、愛し合っておらず、互いへの不信感の中、子どもへの溺愛が、互いをより一層、悲しくさせている。父親の友達がいる。まるで監視をするように。でも子どもへの対応は、穏やか。子どもの姿。表情は、浮かばない。ラブサイケデリコの曲がどこかで流れている。眠るようにいいながら、マンションを出る。

振り返ると、子どもの泣き声。殴る親。止める親。おしゃれな子ども部屋的テラスが、間接照明の中で、ぼんやりと虐待のステージになっている。あわてて、危惧していたことが実際になったと、戻る。止めに入ろうとしたとき、その家族は、別な家族であったことに気付く。

そして、その家族は、チャイムと同時に、静かになって、何事もなかったかのように、鼻血をふきながら、めいめいに部屋に戻っていった。溺愛と虐待の日々は、標準かもしれない。普遍的かもしれない空気の中、僕は、三角形のモビールの底の部分を見上げながら、テラスの間接照明に照らされて、それでいて、頂上までは見えない、マンションを眺めた。

灯りがついている部屋。ついていない部屋。このマンションに来るときは、いつも三日月だ。静かに、弁護士の連れ合いと玄関を出た。僕は、これからバイクで帰る。荷物をくくりつけながら、一緒にバイクで帰るつもりの連れ合いに、メットをもう一つ持ってこなかったことを告げ、新幹線で帰ったら、駅まで迎えに行くと、言いながら、もう新幹線の最終には間に合わないかもしれないことを、二人同時に考えていることを、二人知っていた。子どもができない二人には、溺愛と虐待の家族カウンセリングは、二人の間を、より冷たくし、僕は、仙台北駅へのタクシーを、横目で探していた。

僕は、目を覚ましたとき、泣いていたかもしれない。夏に見た夢。夜中に見て、眠れずに、書いた。午前2時55分だった。