僕が、小学生の頃、夕張の蒸気機関車が、最終列車を走らせました。それは、全国の国鉄で、現役で石炭を燃やす最後の列車でした。あの日の夕張駅で聴いた汽笛は、忘れません。
蒸気機関車が無くなり、僕は少し途方に暮れました。そんなとき、パリダカールラリーのことを知りました。元々、僕は乗り物好きだったんです。関心が向きました。当然、自動車を運転することはできません。三菱ランサーのプラモデルを作ったり、ランチャストラトスの絵を描いたりしていました。日産ブルーバードSSSなんかも、懐かしいなあ。
そんな僕は、今でも、がたぼこ道が好きです。オフロードバイクを乗り続けているのも、そのへんに関係しているかもしれません。雪道も、何となくチャレンジしてみたくなっちゃうんです。
さて、僕の通勤路です。舗装された堤防の道を走りたくない僕は、鳴瀬川の鈴根五郎さんのところから、いつも田んぼの中のがたぼこ道を行きます。つるつる道はいいのですが、シャーベット状の道は、かなり辛いです。僕の四輪車は、ホンダのロゴ。がたぼこ道用にはできていないんです。でも、えいやぁ!と、ついとんでもない道に、行ってしまいます。田んぼに落っこちてしまうかもしれないなぁと思いながら、走ります。
そんなとき、ふと思うんです。もしも田んぼに落っこちちゃったら、定刻には学校に着かない...。電話嫌いの僕は、携帯電話を持っていない...連絡できない...誰かが通ったら、電話してもらおう...。そんなとき、ふと思ったんです。携帯電話を持つ人が増えたけれど、僕は持たない...。「どのへんが、世の中的に当然だろうか」ということです。
遅刻をしたら、きっととがめられるでしょう。迷惑をかけます。そんなとき、「時計を見ていた?」と聞かれることもあるでしょう。僕は、腕時計を所有しています。四輪車にも、時計は付いています。時刻を知る術は、あるのです。そう、現代日本社会において、時刻を知ることは、そう困難でないことになっています。いわば、当然時刻は知っているものという常識があるかのようです。
では携帯電話ではどうでしょう。普及率は、かなりのもののようです。職員室でも、いろんな呼び出し音を聴くことができます。僕は、かなり重症な電話嫌いなので、携帯電話を持つ予定はありません。世の中で、最後に携帯電話を持つ人になる予定をしているくらいです。さて、携帯電話を持つことは、当然になっていないか?という、そんな自問が、雪道を走りながら過るのです。遅刻した僕に「なぜ、時計を見なかった?」と聞くように「なぜ、(携帯)電話で知らせなかった?」と聞く日は、ひょっとしたら遠くないように、感じられます。「どのへんが、世の中的に当然だろうか」
世の中に、時計嫌いの人はいるでしょう。そんな中には、時計を持たない人も、きっといるでしょう。その人を、時計を持たないことで、責めることは果たしてできるだろうか...。そんなことを考えた今日でした。
そうそう、寺山修司の映画のあるシーンに「家には、柱時計が一つあればいいんだよ。時間を、みんながばらばらに持ったら、大変なことになるよ」というようなセリフがありましたっけ。ああ、何が当然なんだろう。何が、当たりまえなんだろう?
写真は、1/24の学校での一枚。ん〜、こうしたい気持ちは、よ〜く分かるよっ!