昨日へ     2003年02月15日   明日へ

今日、連れ合いのぴよさんが借りてきたビデオ「午後の遺言状」(新藤兼人監督)を見ました。「精神障害者」や「自死」の描き方に、若干問題は感じましたが、映画としては、とても興味深く見ることができました。「ドラマ」ではなく「物語」って感じ。「ビデオ」ではなく「映画」って感じ。慌ただしくないカメラの回し方が、いい感じでした。ここのところ、どうもパタパタと落ち着かない展開がよしとされているようで、疲れます。その点「午後の遺言状」は、愉しめました。最後に、乙羽信子が石を投げる場面があるのですが、その解釈が、ぴよさんと僕と、違っていて、それもまた興味深かったです。松山町図書館から借りてきたビデオでした。他の町にも、なんとなくありそうです。よかったら観てみてください。

「共育を考える会」の機関誌「このゆびとまれ」が届きました。今回は、僕の文章も載っています。転載しますね。

みんな「よい子」は、なんかへん。
〜「不適格教員」排除に反対です〜

■いろんな人がいます
 世の中には、いろんな人がいます。私と、相性が合う人もいれば、馬が合わない人もいます。昔、仲が良くなかったけど、何となくこの頃は一緒、ということもあります。いろんな人の中で、私は暮らしてきて、これからも暮らしていきます。面倒くさいこともあるでしょうが、いろいろあるのが人生。あらかじめ決められていない日々が、生き甲斐をうむんだよなあと、思っています。

■いろんな子がいます
 子どもたちも、人間ですもの、おんなじです。やっぱりいろんな人と出会って、成長をします。成長のために出会うんじゃなくて、いろんな人に揉まれるのが、自然ということ。世の中は、とても広いです。そして深いです。大人になるまで、余計にいろいろ経験して、世の中を渡っていく知恵を身に付けるんです。
 ですから、たとえ安全であっても、閉ざされた(または遠ざけられた)場所で「保護」され続けるよりも、いろんなことが起こる場所にいてほしいと、私は思っています。いろんな子が、わいわいと集う教室が、やっぱりいいなぁと思うんです。

■差別をなくすとは、全ての差別をなくすこと
 ときどき、「障害」を持っている子の保護者が、他の「障害」を持っている子を、差別する場面を見ることがあります。私は、辛い気持ちになります。差別をなくすというのは、一つの差別だけをなくすことではなく、全ての差別をなくさなくては、全然前進になっていないんだなぁと、そんなとき感じます。歩ける人が歩けない人を差別したり、しゃべれる人がしゃべられない人を見下したりする姿は、とても苦しいです。だから、「どの子も普通学校へ」とか「子どもへの差別をやめろ」というのは、とてもとても大きなこと。みんなで、力を合わせていかなければならないことだと思っています。

■いい先生って
 共育を考える会の就学相談会で「今年の先生は、当たりでした」とか「来年、いい先生ならいいけれど」という声をよく聞きます。私は、いつものことながら、毎回どきっとするんです。私は、どうでしょう? どんな教員が「当たり」ですか? 「いい先生」って、どんな教員ですか? 反対に「よくない先生」って、どんな教員でしょう? 
 「いい先生」...どんな子どもも大切にするとか、差別しないとか、おうちの方の話をしっかり聞くとか...という感じでしょうか。「よくない先生」...差別したり、暴力を振るったり、話を聞こうとしなかったりするとか...という感じでしょうか。まあ、何となく分かるんです。でも「いろんな子がいていいというのと同じで、いろんな教員がいるんです。いろんな教員と出会ってほしいです」と、私は言いたいです。
 

■教員の「長期特別研修制度」を知っていますか
 なぜこんなことを書くのかと言うと、今「不適格教員」排除の取り組み(長期特別研修制度そして更に新しい制度)が始められていて、私はそれに対して大きな危惧を抱いているからです。「よくない先生」を、現場から排除するということは、絶対に子どものためになりません!
 確かに、体罰をする教員は、困ります。体罰をしないようにするべきです。けれども、それは排除する、または排除をチラつかせて止めさせるべきものではありません。その人に問題を伝え、考えさせ、そしてよりよい状況を共に作っていくべきなんです。私は、困ったことを簡単に処理するシステムを、人間的でないなあと感じます。そもそも、何をもって「いい先生」「よくない先生」を分けるというのでしょうか。誰が、どう判断するというのでしょうか。
 「排除ではない。研修だ」と、誰かが言うかもしれません。いえいえ、本人の意思に関わらずに、強制的に学校外に配置転換をするのは、排除以外の何ものでもありません。戸田慎一さんのことを、お話しますね。

■戸田慎一さんの裁判に注目してください
 戸田さんは、宮城県の公立学校教員です。戸田さんは、税金の不適切な使われ方などに疑問を抱き、七ヶ浜町町会議員の海外視察費に対する返還訴訟、校長会負担金の返還訴訟、宮城県の教育行政に対する住民訴訟・情報公開請求を、起こしてきました。自分の正義に正直に行動をしてきた戸田さんなんです。それゆえ、権力者は、面白くなかったのでしょう。学校現場から引き剥がしたのです。長期特別研修の名の下に、本人に理由などを示さないまま、二年間学校現場から遠ざけました。そしてもう一年延長され、危機感を抱いた戸田さんは、2002年、学校現場に戻すよう裁判に訴えたんです。
 今年の春、やっと長期特別研修を受けさせられた理由が示されました。「組織における円満な人間関係と協力関係の大切さの自覚不足」(県教育庁担当者による研修延長理由・2002.5.8.)ということです。これだけなら、いろんな人が該当するでしょう。理由にならない理由です。到底納得できません。
 私は、本当の理由は、権力からの報復なのだと考えています。なぜなら、戸田さんが、学校現場から遠ざけるべきと判断したのは、戸田さんが住民訴訟で訴えた被告と一致しているのです。言うことを聞かないとこうなるぞという「見せしめ」なのではないでしょうか。
 現在、戸田さんは、研修命令取り消し訴訟と、損害賠償請求訴訟を闘っています。私は《戸田先生を学校現場に戻す会》の会員として、支援しています。2月17日に、仙台地裁で研修命令取り消し訴訟の判決が出ます。ぜひ注目、そして支援してください(戸田先生を学校現場に戻す会で、署名活動をしています)。
 

■新しい教員の人事管理の在り方に関する調査研究会議!
 処分されるかもしれないという不安感が、教員の間に漂っている状況があります。おかしいことを「おかしい」と言いにくくなってきています。権力に、目をつけられない「まし」で「無難」な教員を、みんなが目指しそうです。そして「あいつは排除されても仕方ない」と同僚を差別したり、切り捨てたりする教員が、増えそうです。心配です。子どもたちには「いじめはいけない」とか「差別してはいけない」とか「自分の意見をはっきり言う」って、言っているのに...。
 今既に、そんな状況を作っているにも関わらず、宮城県は「新しい教員の人事管理の在り方に関する調査研究会議」で「よくない先生」対策の新しい制度を作ろうとしています。1月30日に、調査研究会議から県教委へ、会議の報告書が提出されました。「よくない教員」を排除し、「よい教員」を表彰する制度を、この四月からスタートさせようとしています。
 畏縮している教員が、子どもたちをどう育むことができるというのでしょう。子どもたちは、のびのびと育つことができるのでしょうか?

■いろんな「よい」「よくない」があるんです 
 繰り返しますが、「よくない先生」を現場から排除するということは、絶対に子どものためになりません。やっぱり、いろんな教員がいるべきだと思っています。というのは、人によって「よさ」の見方が異なるからです。 
 私は、ある人にとっては「いい先生」かもしれませんが、ある人にとっては「よくない先生」かもしれません。また、そのときどきによって、私のありようは変わってくるかもしれません。そもそも、人間を「いい」「よくない」と、二分することは、できないのです。
 「でも、差別する先生は、困るんです」という声が、あるかもしれませんね。分かります。ぜひ、そういう教員には、みなさんが話してください。教育してください。闘ってください。一人で闘うのは大変かもしれません。そういうときは、仲間を見つけましょう(私もできることはします!)。大変かもしれませんが、そうすることによって、人は、そして世の中は、変わっていくのだと思います。「よくない先生」排除制度が完備されれば、とてもお気楽ですが、面倒くさがらずに、人間の力で、状況を変えていきましょう。ぜひ、お願いします。

■便利ではなくて安易なこの頃:きちんと伝え合いましょうね
 世の中は、とてもコンビニエンスになっています。いろいろ便利になったと言われますが、便利ではなく安易になっただけだと、私は感じています。人間の暮らしは、本来なかなか面倒くさいものなんです。でも、面倒くさい中で、いろいろな出来事が、実っていきます。どんな子どもも、どんな教員も、差別されることなく、差別することなく、差別を許すことなく、なんぼかでも「自由」に近づけるよう、歩んでいきたいものです。そういう場が、学校なのだと、私は信じていたいです。私は、ちっぽけな一教員に過ぎませんが、あわてずあきらめず、しなやかにそして頑固に、子どもたちと過ごして行くつもりです。
 さあ、小学校ではそろそろ一日入学です。新一年生を迎える時期なんです。新たな出会いの季節、面倒臭がらずに、よくないところはよくないと、いい感じだなぁと思ったときはいい感じだねと、お互い自分のことばで伝え合える環境を、作っていきましょうね。

写真は、今日撮った一枚です。中新田に用事があって行ったんです。川の近くで、若い猫が遊んでいたんで、車の窓を開けて声を掛けました。優しく声を掛けたのですが、「...あやしいやつだなぁ」とにらまれ、にゃあとも言ってもらえませんでした。