研修命令取消請求裁判の判決の日です。思い起こすと、あっという間に今日が来たように感じられました。北仙台の青葉体育館の会議室に集まって、会をスタートして、いろんな方と出会って話をして、傍聴をし、署名の呼びかけをし、ニュースを発行し、街頭での署名活動、諸集会での呼びかけ、成嶋先生の講演会、盛り上がった飲み会...。私には、とても凝縮して感じられたんです。けれども...と、考えました。松島野外活動センターで二年、そして研修センターで一年、ずっと学校現場から離されて長期特別研修を受けさせられてきた戸田さんにとっては、ずっとずっと長い日々だったかもしれない...仙台行の電車に揺られながら、私はそんなことを考えました。天気は、ほんのりと晴れ。少しだけ、春を感じさせる風が吹いていました。
仙台地裁。法廷は、30名以上の傍聴で埋まりました。半数弱がどうやら被告側。半数強がこちら側でした。記者席も埋まり、報道のテレビカメラが入りました。裁判官が入ってから2分間、カメラを回すということでした。しーんとした2分間でした。すごく長かったです。カメラが法廷から出て、すぐに裁判官(仙台地裁第二民事部 裁判官 田村幸一・清水知恵子・能登謙太郎)が判決を言いました。
「原告の請求を棄却する」
「ナンセンス!」と、たくさんの声が一つになって、響きました。裁判官は、テレビカメラが回っていた2分間の何分の一も短い時間で、すぐに壁の向こうに消えました。予想はしていたのに、実際に言い渡されると、頭が真っ白になって、私は何も言えませんでした。しばらくしてから、「ナンセンス!」と言えるとよかったのにとか、違う何を言えばよかった...とか、悔やみました。でも、とにかく、判決は出てしまった。怒りが、静かに重くめらめらとしています。判決内容は、全く納得の行かないものでした。
裁判所は、処分について争うことは認めました。けれども、理由も内容も被告側の言い分をほとんど全て認めるというものでした。せっかく頑張ったS先生の証人尋問も取り上げられていなくて、とても悔しい気持ちです。年次休暇や病気休暇などは、全て所属長が認めているものです。にもかかわらず判決は、戸田さんの休暇日数をもって長期特別研修が必要であるとしています。本当に「年休」という文字がたくさんちりばめられている判決文です。おかしいです。
教育指導力についても、原告側が提出した保護者の具体的な声を全く無視し、校長などの文書しか取り上げていません。学校から排除したい者の話にしか耳を傾けていない判決なのです。松島野外活動センターの職員(この冬、不祥事によって辞職した某中学校校長の替わりに、新校長に就任しました)の証人尋問から、管理職たちは戸田さんに具体的な指導を行っていないことが明らかになったのに、判決文では全く触れられていません。全く納得がいきません。「態度はぞんざいで横柄である」「独善的」「自己主張が強い」という言葉が何度も繰り返されています。しかし、校長など管理・指導する立場が、戸田さんに対してどんな指導したかは不問なのです。
学校現場での「指導力」を養うため、子どもと接することのできない施設に送ることについては「効果的で、実践研修は相当な内容であったと認められる。」(判決p24)としています。この文章は次のように続きます。「なお、環境整備作業のように肉体労働を伴う作業も、社会が様々な作業を行う人によって支えられていることを改めて認識し、他への配慮の大切さを体得するとともに、社会教育主事と協働することによって、協調性を養うという点において、有意義な研修である。」(判決p24-25)。この判決からすれば、どんなことも、全て教員の研修になります。研修にならないことは、何もありません。もしも、本人の意思を問わずに、研修命令が出せるなら、教員はどんな仕事も、文句言わず、従わなくてはならないというわけです。これを読んで私は思いました。裁判官もあらゆる「研修」を受ける必要があるのではないでしょうか?
私は、戸田さんが学校現場から排除された理由の一つに、住民訴訟のことが挙げられると考えています。その件については、次のように書かれています。「(3)本件命令自体の適法性について ウ 報復目的の主張について 本件命令が住民訴訟等の提起したことに対する報復目的であるとか、前件研修中において「CATCH」の放映をさせたことに対する報復目的であることを認めるに足りる証拠はない。」(判決p28)。これでおしまいです。戸田さんを排除しようとした人たちは、ほっとしているでしょう。三権分立は、どこに行ったのでしょう。
判決文は、A4版28ページですので、ここで全てを掲載はしませんが、別紙の判決報告集会(2.27.)では、お渡しできるようにしたいと思っています。ぜひ、判決報告集会に来てください。よろしくお願いします。
さて、裁判所での記者会見の後、私たちは宮城県庁に向かいました。県教委への申し入れです。申し入れは、はっきりしています。4月には戸田さんを学校現場に戻すこと!です。
ここで確認したいことがあります。今回の裁判では、私たちは敗けました。すなわち研修命令を取消しすることはできませんでした。けれども、この判決は、戸田さんを学校現場に戻さないという判決ではないのです。戸田さんの長期特別研修は、2003.3.31.までとなっています。これを再度延長させることなど、到底許せるものではありません。4月に学校現場に戻すよう、戸田先生を学校現場に戻す会として申し入れをしたというわけです。
県教委には、テレビカメラが待っていました。それゆえでしょうか、県教委の担当の方も、いつもよりも穏便に対応してくださった感じでした。「裁判の判決は判決、研修は研修で別です」と話していました。ぜひ、前向きな対応を期待したいと思います。なお、県教委への申し入れ行動には、たくさんの会員が参加し、メンタルヘルスのことなどを訴えました。やっぱり教育って、社会的に大きな関心を持たれるものです。ゆえに大きな希望をはらんだものです。決して諦めず訴え続けたいものだと、私は感じましたよ。
県庁記者クラブでの会見を終え、みんなで多賀城に向かいました。代表のWさんが怪我をして入院しているんです。みんなで、花を持って行きました。判決の報告もしました。やっぱり一人ひとりがつながることって、大切だなぁと感じました。渡部さん、早くよくなるといいですね。
次に、多賀城市教委です。前々回と同じ部屋を取ってもらいました。県教委へと同様に、4月に戸田さんが学校現場に戻れるよう訴えました。県も大切ですが、市町村立学校で勤務するのですから、市町村教委が、とても重要。まずまず有意義な話し合いができたように、私は感じています。
さぁて、夕方です。みんなで、居酒屋に行きました。判決には駆けつけられなかった仲間も集い、おおいに飲み、食べ、語り合いました。課題は、とても大きく、そして多いのですが、仲間がいるということ、一人ひとりが自分の言葉で自分の思いを語っていることに、私は大きな希望を実感しましたよ。泣き寝入りすることは、自らを偽ること。面倒くさかったり、大変だったり、ともすると傷つけられることが確実視される闘い。でも、仲間がいるということが、勇気を持って立ち向かわせるもんなんだなぁ。そんなことを、感じた一日でした。
もし、あなたが闘いを起こすなら、きっと私は駆けつけます。それは、きっと私だけではないです。ただし、駆けつけるといって、私は私の考えを持ちます。いろんな思いが交流する中で、私たちの暮らしは、少しずつ悪くない方向を向いていくのだと思います。決して知らんぷりはしないぞ。そんな気持ちを確かめることができて、私は戸田先生を学校現場に戻す会の会員になって、よかったなぁと思いました。さあ、まだまだ闘いは続きます。互いに支え合って行きましょうね。(戸田先生を学校現場に戻す会ニュースより転載)
写真は、2.09の東京・佃島の風景。少し、寂しいかもしれない。