最後の日です。朝、業前活動の時間に、証書授与の手順の確認をしました。体育館で、養護教諭の先生にもご一緒してもらって、やりました。温かいけど、ぴりっとしたみんなでした。一時間目は、実質的に最終授業です。僕は、「好きになること・大切なもの」というテーマで、話しました。本当は、先々週あたりに時間を取りたかったのですが、忙しくてできなかったんです。
僕が小学一年生のときに、好きだった女の子の名前(k_ちゃん)を黒板に書きました。小学三年生のときに好きだった女の子(N_ちゃん)、小学四年生のときの(S_ちゃん)...と、エピソードを交えながら、名前を書きました。毎年、好きな人が変わったの?と、読者の皆さんも思うかもしれませんね。実は、どんどんみんな転校していったんです。あの頃の夕張は、閉山の下り坂を転がり落ちていく時代でした。(ただし、転校していっちゃったつもりになっていたけど、実は六年生になるまで一緒だった女の子もいました。いやはや、ごめんなさいね、N_ちゃん...)
中学二年生時代に好きだった女の子(T_ちゃん)に、ラブレターを書いた話をしました。中学二年の冬休み、僕は一人網走に夜行列車で行き、冬の知床に行ってみたくて、宇登呂に行きました。忘れません! 封筒は用意していたけれど、糊がなくて、何かに付いていたセロテープをはがして使いました。あの晴天の下、郵便ポストに入れたときのドキドキ。ポストに入れてから、少しだけ後悔したのですが、もう戻ってきません。三学期の始業式、僕は自分がしたことの、とんでもなさに愕然としました。女の子に宛てた僕の手紙は、みんなに回し読みされていたんです。辛かった! 無口で暗く存在が薄い少年のラブレター騒ぎは、みんなの週刊誌的好奇心をおおいに盛り上げ、僕はますます孤独でした。
...そんなことを、六年生に話したんです。そして、小さい頃は、ラブレターなんて、出そうと思わなかったけど、だんだんそういうふうになったんだよと、話しました。ラブレターを出すことだけでなく、一緒にいたくなったり、特別に思ってほしくなったり、手を触りたくなったり、抱きしめたくなったり、チューをしたくなったりしていったんだよ...と、僕は話を進めました。
なぜ、チューをしたくなるんだろうね。そう話して、僕は教室のみんなに「チューしようよ!」と迫りました。まあ、いつものことなので、「やめてぇ〜」とみんなは返してくれました。
ん〜、このあたりが重要だね。いくら自分がチューしたくても、相手がそう思っていなかったら、してはいけない。手をつなぐのもそうだね。一方的だったら「つなぐ」でなくて「つかむ」になっちゃう。相手を好きになるとは、相手の気持ちも考えるということ。一方的には成り立たないんだよ。それは、相手を傷つけることになる。
そうしているうちに、裸の体を触り合ったりしたくなってきたんだ。一方的に、おっぱいを触られたりしたら、うんと傷つく。気持ちが通い合うと、裸で抱き合いたくなることがあるんだ。
みんなは「セックス」というと、いやらしい顔をするけれど、いやらしい顔をしているのは、相手の体だけしか見ていない証拠。気持ちもつながり合いたくなったら、それはいやらしいことではなくて、うれしいことになるんだ。
「セックス」って、日本語では「性交」って言う。男性器と女性器を合わせるんだ。子どもがどうやってできるかって、五年生のときも学習したけど、覚えているだろうか。男性器は出っ張っていて、女性器は引っ込んでいる。男性器が、女性器に入るんだ。そして、抱きしめ合ったり、体を動かしたりしているうちに、精子が出るんだ。
...そして、僕は精子と卵子の復習をしました。卵子が作られるのは、だいたい毎月一個くらい。賞味期限が切れると、血のふわふわのベッドと一緒に体の外に出るって、前に学習したよね。精子は、せっせと今も作られているよ。精子は、白くて、どろっとして、酸っぱいような匂いがする。私が初めて精子を出したのは、眠っている間だったよ。何か女の人の裸の夢を見て、起きてみたら、パンツの中がへどべとだった。これを夢精っていうんだよ。精子は、毎月出るとかいうものではないんだけど、ペニスをいじっていると出る。出ると気持ちがいいので、ついついペニスをいじってしまう。これを自慰・マスターベーションっていうんだよ。マスターベーションをすると、頭が悪くなるという話を聞いたことがあるけれど、そんなことはないってお医者さんが言っていた。ただ、集中力が減るので、やり過ぎないほうがいいって。女性も、女性器を触って気持ちよくなるらしい。男性も女性も、気をつけてほしいことは、いつも病気は体のねばねばぬるぬるしているところから入るよって言っているでしょ。性器は、ねばねばぬるぬるしているので、汚い手で触ったりしないほうがいい。また、精子は人に見せるものじゃないから、きちんと始末することが大切。
さっき、女性器の中で精子が出ることを話したけれど、もしもそのとき卵子があったら、受精、すなわち赤ちゃんができることになるんだよ。結婚すれば赤ちゃんができるんじゃなくて、受精してできるんだよ。
私には、子どもがいない。結婚してすぐに赤ちゃんができていたら、ちょうど君たちくらい。だから、今年あたりは、もうできないのかもしれないって、思っているよ。私は連れ合いのぴよさんとセックスをする。セックスをするからといって、必ずできるとは限らないんだ。私たちの間には、赤ちゃんはますますできづらくなっていく。若いカップルと、お爺さんお婆さんとでは、やっぱり若いカップルのほうが、一般に赤ちゃんができやすい。君たちも、そろそろ親になっちゃう可能性があるわけだ。
子どもを作りたくないけれど、セックスをしたいという場合には、避妊具を使う。妊娠を避ける道具って意味だね。ペニスから出る精子を女性器に入れないために、ペニスに手袋みたいなゴムをかぶせるものがある。コンドームっていうんだ。薬屋さんの前に自動販売機があったりする。女性の場合は、お医者さんに月経を調整するピルという薬を出してもらうこともできる。
いずれにしても、互いの体、そして気持ちを大切にしなくては、セックスはできないんだ。相手をいたわらないなら、それはただの暴力になってしまう。誰かを好きになるとは、その人を大切になるということ。人は、物ではないから、互いの気持ちを大切にし合わなくてはいけないんだよ。
最後にもう一つ。みんな、いくら払ったら、私とチューをしてくれる? ...みんな、結構悩みました。「10万」という声があり、私は考えてしまいました。
君たちは、物ではない。だから、お金で買うことはできない。お金で売ることもできない。セックスをしてお金をもらうということは、自分を売り払ってしまうこと。私は、「自分のことは自分で決める」というめあてを、五年生の春にみんなに示したけれど、自分を物にしてはいけないよ。「チューをさせなければ、ぶん殴る」という暴力にも、負けてはならないよ。そう思うと、お金はまるで、暴力のようだ。
好きになることは、とても大切なこと。相手が、異性でも同性でも、年齢がうんと違っても、どんな国で育ってきても、好きになるという気持ちは、誰も止められない。逆に「好きになれ!」と命令されても、できないもの。食べ物の好き嫌いなんて、そうだよね。みんな、中学校に行ったら、絶対すてきな出会いをする。好きになることを通して、ますますすてきになっていってください。
こんな授業をして、卒業式の練習(歌など中心・45年生と一緒)をして、4時間目。一年生と一緒の音楽でした。卒業式の練習が長引いてしまいました。教室に戻ると、一年生の先生が「待ちくたびれちゃって、みんな隠れているよ」ということでした。六年生が、「ここかなっ?」と、かくれんぼ一年生を探しました。何かいい感じだったなぁ。一年担任のk先生、どうもありがとうございました。一年生をみんな見つけて、音楽の始まり。
縦割り班ごとに一緒になってねと言っただけで、まるで親子に近いような感覚で、みんな一緒になりました。まずは「だんごをたべた」をしました。そして「さらばたし」をしました。予想通りのいい感じで、僕は涙が出そうだったよっ!
給食の時間が近づいています。「さらばたし」を終えて、僕は一年生に言いました。「君たちは、明日休みです。六年生は、明日、卒業式です。君たちが明後日、Aちゃんたおしに来ても、Tちー!って、Tちゃんと遊びに来ても、この教室には、だれもいないんです。もうさようならなんです。今度会うときは、きっと六年生は、中学生です。会ったら、声を掛けてくださいね。君たちは、いつか六年生になるけれど、今の六年生みたいないい六年生になってね」
一年生にとって、六年生とは、今年出会った15人のことなんですよね。どうも「卒業」がぴんと来ていません。六年生は六年生で「おれ、木曜日来てもいいよ」「おれ、来るは」と口々に言っていたり...。ああ、いい人たちだ。でも...でも、やっぱり卒業は卒業で、そういう辛さを越えることが、大切なんだよなぁ。
給食までの五分間、一年生と六年生で、おんぶしたり、じゃれたりして、そしてさようなら。人と人とのつながりの大切さ、温かさが、きっとみんなの中に残っただろうなぁ。