担任している子どもがいないというだけで、こんなに違うのかと驚きました。いつもの通勤路が、うんと長いのです。いつもなら、今日の予定を、どんなふうに授業を進めるかとか、いっぱい考えているうちに着くんです。それが、今日は、とても長くて、まだこんなところにいる...と何度も感じました。予想通りでした。一年生の子や五年生の子ですらも「あれ? 六年生いないのに」と言っていました。ふむふむ。僕までも「卒業」させちゃったんですね。六年生のいない教室で、仕事をしました。ときどき四年生や五年生が、覗きにきました。「あっ、いるいる」って。僕は、仕事が進まないなぁと思いつつ、嬉しくなりました。やっぱり子どもあっての、この仕事だよなぁ。
昼に、職員室のテレビで、戦争が始まったことを知りました。廊下で会った五年生が「戦争始まったの?」と、わくわく顔で話していたので、「人が殺されていることを、そんな言い方するのって、すごく不愉快だ!」と言いました。
今、世界の人々は、どんな顔をしているでしょう。火花が散る場所は、必ず人のいるところ。人が誰もいないところに、わざわざロケット弾は、打ち込みません。誰かが、殺そうとして殺し、誰かが、殺されまいと思いながら、殺されていく。絶対におかしい。絶対に間違っている!
殺されるかもしれないと、明日を不安に思っている人が、ああ、何人いるんだろう。戦争をやめれば、それで不安はなくなるのに、戦争で平和はやってこない。上々颱風の「平和が戦車でやってくる」という歌が、頭を巡ります。私たちが、止めましょう。あきらめない!
写真は、三本木のケヤキ。二月だったでしょうか。吹雪の夜のケヤキの写真を載せたことがありましたっけ。