昨日へ     2003年08月06日   明日へ

昨日、地震で大変だった町で、火事があったことを知りました。女性が亡くなったことを、報じていました。その後、それが自殺だったかもしれないと、新聞が書いていて、とてもいたたまれない。

今回の地震は、宮城北部連続地震と称されています。なるほど、連続なんです。この連続の苦しさを、理解することができるでしょうか。今日もまた余震がありました。揺れは、あの日ほどではないのですが、揺れ続けているという事実が、苦しいのです。「今回は、ひどい地震だったけれど、死者が出なくてよかった」とよく言われていましたが、でもこの火事で死者を出してしまった。とても、残念です。辛いです。地震の被害者です。

今日は、ヒロシマの日です。あの日、殺された人たちの思いを考えると、殺した人々・殺した国家、そんな戦争を始めた権力者たち...への怒りを、新たにします。殺された人の無念は、きっと大きい。けれども、残されて、辛さを記憶に刻みながら、暮らし続ける残された人の苦しさも、きっと大きい。昨日、黒い雨を浴びながらも認定されず闘っている方がいることを、新聞で知りました。ああ、殺されなかった人の、この大変さよ。

事件が起きて、それは報じられ、人はそのことに関心を示します。翌日別な事件が起き、新聞の紙面はそのことを報じ、昨日の事件は、なかったかのように、人はときにとらえます。でも、事実はいつも連続していて、デジタルに払拭されるものではないんです。僕は、たくさんの人・いろんな人の連続する日常に、思いを馳せられる柔らかな想像力を、身に付けていたいと、願っています。過去は、いつも今日につながっている。僕は、いつも誰かの日常につながっている。

今日、プール当番として出勤しました。午後の部が終わって、5年生の女の子たちが校庭に2匹の小猫が捨てられているのを見つけ、かわいさに心揺らせながらも、捨てた人の辛さを考えました。そして、捨てた人の行為を、悲しく思っています。今、小猫の確かな明日を、何とか見つけようと思っています。もしも、猫に関心がある方、飼ってもいいですよという方、いらっしゃったら、ご連絡ください。出会ってしまった以上は、何とかしたいのです。

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