昨日へ     2003年08月24日   明日へ

微温湯で目を覚ましました。天井の低い部屋です。よく見ると、天井の板には墨で文字が書かれています。「大正五年」という文字がありました。そういえば、僕の眠った建物は、明治時代の茅葺きの宿。なかなか濃い味なんです。

朝も、風呂に入りました。やっぱり微温湯ゆえ、長く入れます。一時間半入りました。窓の外の緑がきれいでした。

朝ご飯を、食堂で食べました。皆さんと一緒です。ああ、あの三人が昨日の方々だなと、分かりました。「バイクなんですか」と、その中の女性が話しかけたのは、僕の隣の席の二人連れの青年達。トライアンフと、BMWR1150Rの関西からきた人たち。適度にあれこれと会話しているのを聞きながら、僕は静かに一人で食事をしました。若い頃の僕なら、話し掛けたかもしれません。でも、人の会話を妨げないのも大切なことと、この頃は考えるようになっています。

微温湯温泉を出るとき、宿の小さな子が手を振ってくれました。昔ながらに、お人形をたすきでおんぶしている子と、その子のお兄ちゃんかな? 宿のお婆さんと一緒に、ずっと手を振ってくれて、嬉しかったです。少し、僕の中のさびしんぼが、落ち着きました。さらさらした風の中、山を下りました。

さて、国道まで下りて、今日の行き先を考えます。一応、日光を目指すことにしました。しかしながら、昨日の須賀川の花火大会を連れ合いのぴよさんとお父さんが見たはずなんです。今日あたり、きっと須賀川あたりにいるはず。松尾芭蕉フリークのお父さんのことですから、ひょっとしたら郡山への道を歩いているかもしれません。僕は、ひとまず東北道で郡山へ行き、郡山の川沿いの道を走りました。須賀川で偶然にぴよさんとお父さんに会うためです。

川沿いの道を行っても、なかなか歩いている人には会いません。そうこうしているうちに、須賀川に着きました。まずは、駅に行きました。ぴよさんとお父さんの姿はありません。全然、約束も何もしていないのですから、会える可能性は高くないのですが、根拠のない自信がありました。きっと会うと思う。そう信じていました。駅から、芭蕉記念館を目指しつつも、場所がよく分かりません。駅前の広い道を行って、駅に戻ろうとしたとき、ふと道に二人を発見。僕は、バイクをUターンさせました。

二人とも驚いていました。それはそうです。何の約束もしていないで、たまたま訪れている町に、僕が現れたのですから。二人がお土産屋さんに行っている間、僕はそばにあった呉服屋さんに入ってみました。いつも頭に巻いている日本手ぬぐいがあるかなと思ったのです。

呉服屋さんは、何とも昔ながらのお店でした。ぶら下がっている手ぬぐいを見ていたら、「こちらにもありますよ」と声を掛けられました。畳の腰を下ろして、見せてもらいました。僕が店に入ったとき、別のお客さんが来ていたのですが、その人たちも同じように、手ぬぐいを求めていったそうです。お店の方が「お客さんも、ヨサコイですか」と話しました。前のお客さんが、ヨサコイ用に買っていったということでした。僕は、そうではないけれど、ヨサコイは身近であることを話しました。「どちらからですか」宮城から来たことを伝えると、地震の話になりました。お店のお爺さんとお婆さん。何とも、ほのぼのとした会話をすることができました。幾つか手ぬぐいを買うことにしました。お婆さんは、手ぬぐいを確かめながら、年季の入った五玉の算盤で代金を計算しました。僕は千円札を2枚、お婆さんに渡しました。お婆さんは、それをお爺さんに渡し、お爺さんがおつりをお金の入っているところから出しました。お爺さんは、それを直接僕には渡さず、お婆さんに渡し、それを僕が受け取りました。畳に掛けながら、何ともいい買い物をしたなぁと、感じました。ちゃんと、このお店で買ったんだ。そんな感じ。自動販売機なんかにはない、人と人との関わり・ぬくもり。

店を出て、ぴよさん&お父さんと、乙字の滝に向かいました。二人を乗せたタクシーの後を追い、着きました。なるほど、阿武隈川は、このあたりだと、このくらいの広さなんだ...。川のほとりの印象的な建物で、素麺を食べ、分かれました。じりじりとした日差しの下、阿武隈の田んぼを眺めつつ、矢板への道を走りました。

矢板から宇都宮まで、自動車道を利用して、日光街道。杉並木をバイクをスタンディングで運転しながら、ゆるい勾配を上がっていきます。何となく、日光で宿を見つける予定で、そのままどんどん走っていきました。

日光は、数年前に足尾銅山を見に行ったとき、泊まる場所を見つけあぐねて、夜中に駈け上がったことがありました。確か、バイクはインパルス400です。予定していた宇都宮のキャンプ場に着いたものの、あまりに怪しい場所で、そこを離れ、とにもかくにも中禅寺湖畔に逃れたのです。そのときは、通過するばかりの日光でした。

もっと遡ると、小学生の頃。たぶん3年生くらいだったと思います。父さんと二人、冬の日光を訪れました。東武鉄道の特急列車に、大きなテーブルが着いていて、驚いたことを覚えています。特急「けごん」だったと思います。確か僕は、白い毛糸の帽子を被り、まだあの頃は、女の子に間違われていたはずです。ああ、もう30年前のことです。

さて、僕は、日光の駅で泊まるところの資料を見つけようと思いました。けれどもありません。とにもかくにも、源泉の温泉があったほうがいいなぁと、僕はそのままいろは坂を上り、中禅寺湖を眺めながら、なお山を登り、奥日光にたどり着きました。旅館案内センターの壁に、地図があり、そこで源泉に一番近いのは「ゆの香」という宿であることを知りました。まあ、行ってみましょう。そのままバイクを走らせて、「ゆの香」をすぐに見つけました。尋ねると、一部屋あるとのこと。僕は即決。「ゆの香」に泊まることにしました。

部屋に通されると、それは源泉を望む部屋でした。ばっちりです。素晴らしい! 僕は、カメラだけを持って、外に出ました。湯ノ湖に行き、釣り客の様子を眺めました。ビジターセンターを訪れました。今晩、フルートのコンサートがあることを知りました。何となく、とても幸せな気持ち。

食事の前にお風呂に入りました。硫黄泉の掛け流し。小さな露天風呂もあります。宿の雰囲気も含めて、乳頭温泉郷の妙の湯を思い出させる佇まいでした。ちなみに、宿には猫がいました。白くてふさふさの猫。藤島旅館の猫といい、不動湯温泉の猫といい、ゆの香の猫といい、どうも宿の猫は、宿の雰囲気そのままって感じです。

食事は、食堂で。温かいものが、コース料理のように出てきて、これまた幸せでした。とても丁寧かつおしゃれな料理でした。僕は、つい生ビールを二つ飲んじゃいました。けれども、外の天気は急激に悪くなり、稲光が暗い森の空を切っていました。雨の音も、大きく、コンサートに行くのは、難しくなりました。

食事を終えて、公衆電話を利用しようと思って、外に出たのですが、いやはやひどい雷です。電話ボックスも見つからず、雷に恐怖し、戻ってきました。宿の電話をお借りして、家に電話をしました。お昼には須賀川で会ったぴよさんでしたが、何だかとても遠く、とても懐かしかったです。

部屋から、雷の観察をしました。光ってから、五秒以内だと危険だけれど、それ以上たってからの音ならば、落雷の危険は少ないと、子どもの頃に本で読みました。僕は、光るたびに、何度も何度も数を数えました。ああ、僕は雨と無縁なツーリングって、できないんだなぁ。そんなことを思いながら、眠りました。

写真は、奥日光温泉の源泉です。写真の中央の建物が、ゆの香。2階正面が僕が泊まる部屋なんですが、まあ見えませんね。雲が、夏!って感じです。

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