昨日へ     2003年10月16日   明日へ

今日は、特別な日です。ある意味、誕生日のような日。僕が高校2年生のとき、夕張の炭鉱で、ガス突出事故があった日。93名が、命を亡くし、93名の家族が心を引き裂かれ、93名につながる全ての人が、炭鉱というもの・働くということ・命を賭けて生きる者と命を賭けずに過ごす者たちのことを、考えた日。夕張の犬たちが、谷間を行ったり来たりする絶え間ない救急車のサイレンに、吠え疲れた日。あれから20年以上が過ぎていますが、僕はまだまだ、未だにこだわる10月16日なのです。

あの日、事故を知ったのは、夕張北高等学校の格技場にいたときでした。放課後で、柔道の練習を始めようとしていたときです。どこからともなく、事故があったと噂があり、気になったので、後輩に電話をしておいでと言いました。玄関入って、階段下の購買のところの赤電話。受話器を上げると、混線していますとのこと。何となく不吉で、柔道の練習はなしにして、みんな帰ることにしました。もうすぐ、新人戦だったので、本当は練習をしたほうがよかったのですが、何だか嫌な気持ちだったんです。

僕の家は、北高の坂を降りてほどなくのところだったので、みんなが帰ってから、ゆっくりと帰宅しました。家のテレビを点けて驚きました。どのチャンネルでも、夕張のこと・事故のことを報じているのです。事故と聞いて、落盤か何かで何人か怪我をしたのだろうかと、思っていたのですが、違いました。ガスが突出して、たくさんの人が坑道から上がっておらず、救助に行った人も戻らないというのです。テロップで、たくさんの人の名前が出ます。僕は、その男性たちの姓を見ながら、「○○の父さんかもしれない」「○○には、兄さんがいたはずだ」と、体を凍らせました。テレビの中で起きていることが、僕が住んでいる町のことで、しかも同級生の家族が死んでいるかもしれないということ。それが、すぐには理解できないでいました。暗くなっても、救急車の音が鳴り止まず、犬たちはずっと吠え続けでした。

結局、たくさんの闘いがあり、涙があり、嗚咽があり、怒りが燃えるままに、坑道には水が入れられ、93名が帰らぬ人となった...そんな始まりとしての10月16日。あのときの怒りは、きっと僕のアイデンティティーなので、決して忘れない。消さない。

そんなことを書きながらも、今日は大失敗。恣意的な長期特別研修をなくす会の例会を、仙台でやることになっていて、参加の呼び掛けをしていながら、すっかり忘れていたのです。みんなが集まっているところからの携帯電話を受けた僕は、すぐには例会のことを思い出せないほど、今としての劇の世界の中にあり、大変失礼をしたのです。ああ。失敗だ。かなり落ち込みました。ああ、Kさんも来てくれたというのに。一つひとつの仕事を忘れないよう、落ち着いて。慌てずに、過ごさねば...。参加された皆さん、申し訳ありませんでした。

写真は、2000年の夏、夕張での1枚です。壊されずに白樺林の中に建っていた遠幌小学校の体育館に入ってみたら、壁に卒業記念の絵が掛けられていました。題名は「友情」。第22回卒業生の作品です。

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