昨日へ     2003年11月08日   明日へ

中新田秋まつりです。56年生がヨサコイを踊るので、僕は引率です。去年も、同じように引率だったのですが、去年は雪だったんです。積もってしまう雪。「これじゃあ、秋祭りじゃなくて、冬祭りだ」って、言っていたんです。ああ、あれから1年です。

みんな、はきはきと踊りました。6年生にとっては、最後のヨサコイになるかもしれません。みんな、低くなるところは低く、跳ねるところは跳ねて、いい感じでした。上の写真は、そんな中での1枚です。

僕は、ヨサコイ解散後、すぐに仙台に向かいました。組合の教育研究会があったんです。場所は、仙台南インターそばの茂庭荘。いつもの会場です。思いのほか早くに着くことができました。昼食を食堂でとりました。隣の席には、仙南支部の先生がいて、お話することができました。知らない方ばかりの中でしたが、おしゃべりを聞くだけでも、有意義でした。

さて、分科会は「職場の民主化」です。振り返ると、教員二年目の秋に、この分科会に参加した記憶があります。初任者研修についてレポートしたと思います。まだ20代半ばでした。あれからもう10年以上経ちました。早いものです。今回は、戸田さんの裁判と長期特別研修についてのレポートを、共同で発表しました。僕が用意したものは、以下の文章とこれまで戸田先生を学校現場に戻す会ニュースなどに書いた文章を資料として加えたものでした。初めの文章だけ、載せておきましょう。

2003.11.08.合同教研:職場の民主化分科会
あわてない・あきらめない
「不適格教員」レッテル貼り排除攻撃に抗するということ

 これまで1年間あまり、戸田慎一さんの教育裁判に関わってきました。戸田さんと同じ教員として、この1年間どのような活動をしてきたか、これからどのような活動をしていくべきか、径の途中で考える機会にしたいと思いました。そして、皆さんからアドバイスを頂きたい、また共に活動していきたいと考えています。

■1年間を振り返って
 何が問題なのでしょう。学校現場・教育行政・保護者・地域が、よく考えたり話し合ったりする場を持つことなく、どんどんと状況が変化しているように振り返ります。
 たとえば「不適格教員」と言ったときに、
・誰をさすのか、
・どのような状態をもってそのように称すのか、
・誰がどのようにそれを判断するのか
あいまいなままに、「そんなこと言っていると、不適格ってされるよ」という雰囲気だけが、広がっていったように感じます。「確かに、不適格な先生っているよね」という、極めて感覚的な認識です。
 戸田さんが長期特別研修にピックアップされた過程は、まさにそれらの基準がはっきりしない中でのことでした。現在、裁判でそれを追及しているところです。しかしながら、基準がはっきりしていないことへの危機感は、教育行政も同様でした。新しい教員の人事管理の在り方に関する調査研究会議を立ち上げ、検討をしました。「教員の資質能力の向上に関する提言」の「1「指導力不足教員とはどのような教員か」について」の章で、次のように記述しました。幾つかピックアップしてみますと、
・良い事,悪い事をきちんと指導できない教員
・一人の人間としてもおかしい,社会常識のない教員
・児童生徒に,一人の人間として接することができない教員
・教員としての立場をわきまえない,子どもと同じレベルの教員
・自分の考えがない,自分一人では何もできない教員
・信念,勇気のない教員
・教員としてのプライドのない教員
・授業の進度が遅く学年末までに終了できない教員 ...
 これだけでは、不十分なんです。たとえば「信念、勇気のない教員」とは、どのように判断すればよいのか、はっきりしないからです。そこで、これを細分化した判断基準を、県は作りました。「教員の資質能力の向上に関する提言」からのピックアップです。
・地域との関係を持とうとせず,地域の会議や行事へも参加しない
・関係機関と必要な連携をとろうとしない
・他の教職員と交流がなく,人間関係を築くことができない
・自分の考えや利害に固執する
・他の教職員に安易に依存する
・分掌した校務を迅速に処理できない
・事務処理に間違いが多い
・諸表簿の整理がきちんとできず,提出も滞る ...
 この判断基準について、県は「客観的な基準ができて、一歩前進」としていますが、この内容もまた、判断するための一助とはなりにくいものばかりです。教職員組合としても、現場でも、市民に問うたときでも、その内容には、疑問の声が上げられます。
 しかしながら、教育行政は、どうしようもない文書を作ることしかできないでいるにも関わらず、私たちの側では、それらに対抗する措置を、十分とれないできたと、私は反省しています。現場には「不適格教員はいる」「不適格教員と見なされたら、どうしよう」という不安は、ますます大きくなっているのではないでしょうか。
 この1年を振り返り、戸田さんを現場に戻すことができたものの、運動の前進は、これからであり、課題はますます大きくなっていると、感じています。

■これからのこと
 学校教育は、共同作業だとは、よく言われる話です。力を合わせるというのは、誰かの指示に従って大勢が作業するのとは、少し違うように感じます。一人ひとりが、一人ひとりの知恵を働かせ、共に働くことです。互いに働く者同士のつながり合いが、不可欠です。ばらばらでは、だめなんです。
・きちんと喧嘩ができる職場作り
...ということは、率先して喧嘩をする必要があるんですよね。喧嘩は、人格を攻撃するのではなく、その言動や考え方についての喧嘩です。すなわち、討論です。この頃、職員会議で、討論していますか? 時間がないから...と、自分に言い分けをしていませんか。
・無駄話ができる職場作り
...といっても、無駄ばかりでは困るかもしれませんね。しかしながら、どうでもいいことの中には、本音は現れる。本音がない会話はごめんです。本音の中には、人間性やら感情やら、文字やデータにならないものが含まれていて、それが、人間の働く場を人間らしいものにしていくんです。
・悪口を言わない職場作り
...というと、まるでおりこうさんっぽくって、違和感がありますが、本人に言わないその人のよくない話って、不安を生みます。これは、子どもたちの中でも、そうですよね。「私がいないところで、私はどんなふうに言われてるんだろう」って不安。以前、組合員ばかりの場で、いっぱい悪口を聞いて、私はお腹が痛くなったことがあります。悪口から「不適格教員」のレッテル貼りが始まり、悪口が「まああの人は仕方ないよね」という排除切り捨てが進められます。私は、つい厳しいことを言いがちなのですが、いつも反省をしています。とりあえず、こそこそはやめよう。
・あきらめない人間関係
...というと、まるでストーカー犯罪のようですが、それに近いかもしれません。「あの人は、どうせ分かってくれない」とか「あの人は、どうせやらない」とか、ありがちですよね。あきらめると、広がるものも、理解されるものもされなくなってしまう。教職員組合の中でも、そうだと思います。「あいつの言っていることには、賛成できない」とか、ないですか? 自らの人間関係を、自ら分断させてしまわず、自分のことばで、しっかり語り、理解を求めることを、あきらめないでいきたいと思います。
 書いていて、まるで衆議院議員選挙の政党公約のように、文字面だけのおりこうさんのようです。説得力に欠けます。けれども、管理職がよく口にするところの「世間」や「時代」という目に見えないものよりも、目に見える、手をつなげる、存在する仲間とのつながり合いを、捨ててしまったら、分断されて切り捨てられる一途をたどります。おかしいことをおかしいと言える環境を自ら葬ることのないように、まじめに、おおらかに、学校で暮らしていきましょう。そして、あわてずあきらめず、闘い続けていきましょうね。

■資料
 これまでのこととして、以下戸田先生を学校現場に戻す会(現・恣意的な長期特別研修をなくす会)のニュースに書いた文章などを加えておきます。
以下略

いろんな方のいろんなお話が聴けて、よかったな。人と会わないと始まらないことがある。人と会って始められることがある。そんなことを感じました。

夕方の講演会の時間、ちょいと抜け出して、本屋さんに行きました。ずっと探していた絵本を見つけて、鳥肌が立ちました。長新太さんの「なにをたべたかわかる?」です。僕が持っているのは、もう10年選手で、ぼっろぼろ。ぼろぼろの原因は、みんながよく読んでくれた証しでもあるので、それはそれで嬉しいのですが、ずっと本棚に置いておきたい僕としては、修理にも限界があると思っていたんです。絵本屋さんの「横田や」さんでも、「もう出ていないからそれを大切にしたらいいと思いますよ」と言われていたんです。それが、南仙台のビレッジバンガードで平積みされていたんです! 僕が愛用してきたものは、銀河社発行のものでしたが、今日手にしたものは、絵本館発行でした。2003年11月初版となっていました。なぁんとなく、題字のイメージが異なるように感じますが、それは表紙がぴかぴかのせいかもしれません。何はともあれ、迷いなく、買いました。ついでに「アメリカ・インディアンに学ぶ 子育ての原点」(エベリン・ウァルフソン著 ウイリアム・サウツ・ボック画 北山耕平訳 アスペクト発行)を買いました。ああ、本を読む時間がもっともっと必要だぁ!

夜の部・特別分科会に参加しました。特別分科会「教員管理・評価問題」です。宮城における「教員評価」の動きについて、組合役員が話をして、その後質疑になりました。

今求められていることとして、役員は、次の2点を大きく上げていました。
・教育行政はその使命である教育条件整備の使命を果たすこと
・子どもを主人公にした学校づくりと評価
僕は、ついつい真っ先に手を上げて話しました。

この2点に間違いはない。けれども、交渉ルールを教育行政が守っていないと言っている間に、「不適格」の不安が現場にまん延している。不安を解消していくことが、求められている。何をもって「不適格」とするかということ。どこまで行っても「客観性・妥当性」はない。「本当の不適格」だの「間違って不適格とされた」だのという声を聞くことがあるが、改めたい。ILOの勧告という話もある。それを無視するつもりはないが、勧告は勧告に過ぎない。たとえば、憲法で「基本的人権の尊重」が明記されている。けれども、明記されていても、現実には差別がある。守られていない。「基本的人権の尊重」が明記されているということだけ繰り返していても、差別はなくならない。一つひとつの差別に、きちんと向き合い、闘い、「基本的人権の尊重」を勝ち取らなくてはならない。「不適格」攻撃への取り組みも、同様だ。

僕の発言の後、いろんな方が、いろんな話をしました。職場の条件整備がまず第一という発言が時間的には長かったように感じます。僕は、また発言しました。

職場の不法な労働条件が問題というのは、その通りだと思う。今朝の朝日新聞の社説に、教員の犯罪のことが載っていた。犯罪を犯す教員は問題だが、犯罪は本人の性格などだけには因らないと思う。環境が影響すると思う。私自身、以前公開研究会でストレスが貯まっていたとき、今思うと、なぜあんな行動を取ったのだろうと思うようなことがあった。イライラしていると、それは犯罪にもつながる。イライラの原因を取り除く必要がある。メンタルヘルスについての取り組みも必要だ。精神病であることを、話せる環境作りが求められている。

また、いろんな話があった後、ある方が言いました。「この評価制度を通したら、また次が来る。通してはならない。」僕は、その通り!と思い、また発言してしまいました。

・「不適格教員」はいる、全ての組合員を守ることはできないという発言があったけれど、私はそう思わない。少なくとも、敵の用意したこの制度を使って、仲間を切るのは、おかしい。よくない状況は、他の取り組みで解消できる。
・教員一人ひとりに「評価シート」を書かせようとしている動きには、組合として具体的な反撃が必要だ。「評価シート」によって、学校はより一層ぎすぎすしてしまう。何をもって「S」「D」という評価をしてくのか。それによって、学校はよくなるのか。黙っていたら、どんどんと飲み込まれていく。急いで取り組むべき。
・教員の表彰制度については、校長会や教育長の団体からも、疑問の声が上がっていた。共同で取り組むべき教育という営みを、個人を表彰し、金を与え、ボーナスもアップさせる(すなわち、同僚のボーナスをダウンさせる)ということは、とても問題。この不当性は、市民にも訴えていくべきだと思う。

そんなことは話しました。2003.11.25.まで「みやぎの教員資質向上に関する調査研究会議」は、評価制度についての意見を募集しているそうなので、関心を持ってください。そして皆さんの意見・感想を、送ってくださいね。

夜の道、ラジオを聴きながら、帰りました。知らないロックバンドの曲を聴きながら、マンガ「BECK」のストーリーが頭に浮かびました。

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