昨日へ     2003年12月06日   明日へ

教育実習を終えたさとみかんさん。彼女からメールが届きました。とっても感動したので、載せさせてくださいとお願いしたところ、快諾していただきました。ありがとうございます。では、さとみかんさんの教育実習の文章です。

先生のHPは度々、拝見させていただいておりました。また先生の生徒さんからの実習に関するメールも、ありがたく読ませて頂きました。特に「たくさん悔しい思いをしました。けれど,子ども達のおかげでたくさん救われました。」という一文は、実習を終えた今、私も深く共感するところです。

実習が終わってからは、何だかぽっかりと心に穴が開いたようで何も手につかず、大学に提出しなくてはいけない実習事後レポートなどが全く書けなくて本当に困りました。特に印象に残ることを3つあげて述べよ、という課題なのですが、あまりにたくさんありすぎて、整理がつかず困りました。それくらいたくさんたくさん色々あった4週間だったんだなぁと思います。

実習で学んだことは計り知れません。色々な子どもがいて、どの子もどんな子もいっしょうけんめい生きているんだなぁと思いました。私は3年生に配属して頂きましたが、あんなに小さいのに、白衣を着て、給食を配膳する姿には、ほろっとさせられました(笑)自分は大人になって、何だか色々なことを知ったような気になって、何を見ても、何をしても、特に胸が躍ったりわくわくするような気持ちを感じることが少なくなってましたが、子どもはどんな時でもどんな事にでも、いっしょうけんめい、真剣なんですよね。学校っていう制度だって、いわば大人が決めたものだし、その大人が決めたことをいっしょうけんめいやってるんですね。だから大人は本当に何かを決めることや、子どものために何かをする時には、十分気をつけて吟味しなきゃいけない、責任が大きいってつくづく思いました。

実習中は、主に算数の長方形と正方形の単元を通してもたせていただきました。そのためか、子ども達が最後にくれた文集には、たくさん長方形や直角三角形が書いてありました(笑) あと「もっと怒っていいのに」とか、「先生はしっかりした人で、何でもできるね。だから字を間違えたことなんて小さいことだから、気にしなくていいんだよ」とか(笑)

でも一番、印象に残ったのは中国語で教えた「ぞうさん」の歌のようでした。私は初日の自己紹介でも、先生からのアドバイスを生かして(笑)、日本語と中国語の両方で挨拶しました。しばらくは私をみつけると「ニーハオ」と挨拶する子がいましたが(笑) 実習の最終日に近くなって、突然、音楽の先生から、授業やってみたら?と言われて世界の音楽の鑑賞授業をさせて頂く事になりました。そこで、いつもみんなの歌を聞かせてもらってばかりだから、と私が歌うので、何の歌か、何語か、当ててねと言いました。もちろん、子ども達や大喜びでした。それから一文一文教えて、みんなで歌う予定だったのですが、途中で、2人の子どもの間で、押した押さないの喧嘩がおこり、結局、最後まで歌うことができずに終わりました。

そして最終日の帰りの会で、子どもから、あの時に歌えなかったぞうさんを歌いたい、というリクエストが出たんです。授業参観日だったので、お母さん方も見ているなか、みんなで中国語で、ぞうさんを大合唱しました。やはり文集には、もっと中国語を知りたかったというメッセージもありました。図書館で、中国の本をもってきて私に「これ、かりようかなぁ」と言う子もいました。子どもって本当に何でも興味津々で、好奇心旺盛なんですね!

やっぱり、お別れ会では、ついに泣いてしまいました。帰りの会が終わってからも、わらわらと子どもが集まり賑やかでしたが、保護者会がひかえているため下駄箱まで見送りに行って、早々に帰らせました。でも、一人だけうつむいたまま、ずっとランドセルの中を探すようなそぶりをしたり、机の中を見たりしてる女の子がいたんです。彼女は、おとなしい子なんですが、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に住んでいて、家族全員で本当に良く可愛がっているな、、という感じの子で、人の話を素直にうんうん、そうなんだぁ、と聞ける子です。初日の昼休みに、女子から一輪車をやろうといわれ校庭にかりだされた時も、そっと私のそばにいて、「先生、一輪車教えて」といいました。自分ができないことを隠さずに、教えてって言えるなんて、すごいなぁ、素直な子だなぁと印象的でした。そして、給食では、彼女は食が細く、なかなか全部食べることができなかったのですが、一緒にお話ししながら、すごいなぁ、もう食べたの!先生はまだだよ、などと言っているうちに、どんどん食べられるようになったという思い出もある子でした。どうやらお別れ会から、ずっと泣くのを我慢していたようで、教室を出て、下駄箱に行こうと階段にさしかかったところで、うわーんと泣いてしまいました。私もびっくりして、でもすぐにボロボロと涙が止まらなくなりました。もう一人、私が昔の自分に似てるなと思って印象深かった子も一緒になって、泣き始め、隣のクラスの子も驚いて出てきたりしました。何とか落ち着かせて帰らせましたが、保護者会に来た、私と似ているなと思った子のお母さんが、うちに帰ってくるなり、おお泣きしていて、きっと今も泣いてると思いますと話しかけてくださり、お世話になりました、と言ってくださった時には、本当に涙が出る思いでした。

担任の先生は、ずっと高学年をもってきた方で、ご自分でも低学年は初めてで戸惑っているとおっしゃっていました。授業も、どちらかといえば、論理的で、子どもでも容赦なく、きちんと大人にするように接しておられ、勉強になりました。先生が大らかなので、子どもものびのび個性を発揮しているクラスで、私もそんな先生の下でのびのび実習をさせていただきました。保護者会の後で、下駄箱でたまたま出合ったクラスの男の子のお母さんから、「担任の先生には怖くて聞けないけど、○○先生(さとみかんさんのことです)には算数でわからないところも聞けるからよくわかる、と子どもがいってました。頑張って先生になってください」と言われました。でも怖いって印象があることは大切なことですよね。私は後半、子どもが甘え出してしまい、大変だったので、そこが課題だなぁと思いました。(後半は略)

さとみかんさん、紹介させていただいて、ありがとうございます。きっと、さとみかんさんのこの文書を読んで、「うんうん、分かるよ、その気持ち!」と感じる教員、教育実習経験者、保護者、かつて子どもだった大人...がいるはずです。ひょっとすると、教員免許は取りたいけれど、教育実習がなぁ〜と躊躇していた学生が、「実習してみようか」と考えるかもしれません。本当に、謝謝です。また、今北海道で学生をしているMちゃんに、さとみかんさんへのエールを書いてもらいました。Mちゃんは、僕が白石時代に担任をした女の子。目のくりっとした、あの頃はぱりぱりっと気が強い感じの女の子(今は、どうですか?)。Mちゃんにも、感謝です。誰かから借りてきた言葉は、気持ちを伝えることができないのですが、「自分のことば」は、気持ちを伝えたり、ときには温かさや、エネルギーさえも、伝えるものです。どうもありがとう。

さて、今日の僕は、恣意的な長期特別研修をなくす会の通信作りのために、iBook仕事です。途中で、ハードディスクの掃除をして、久々にJames Blood Ulmerを聴きました。夕方から、雨の中、川渡温泉藤島旅館に行きました。お風呂の中で、ふと歌が出来ました。

僕はいつも湯船の回り、湯口近くに座ります。カランは使わないんです。そんな僕の前に、ガンジーが座っていました。髪が短く、眼鏡を掛けたお爺さん。細い背骨を丸めてあぐらをかいて、でかい足の裏をさすっていました。僕は、ガンジー爺さんを見て、どうしてなのか、乙忠部のお坊さんを思い出しました。オホーツク海を眺める、あの何もない乙忠部の小さなお寺のお坊さん。

僕が、中学生を卒業した春、一人で訪れた僕に、いっぱい昔の話をしてくれた乙忠部のお坊さん。酒飲みだったお坊さんは、僕が高校を卒業したのと間違えて、いっぱいいっぱい僕にビールをつぎました。僕は、仕方なく頑張って飲みました。檀家さんが持ってきた、初物のカニ。カニのてんぷらは、おいしかったなぁ。でも、翌日、歩いて旅する僕は、何もない平原をお腹を押さえて彷徨い、仕方なしに流氷の残骸のかげで、下痢をしましたっけ。紙がなくなり、冷たいオホーツク海で、お尻をふきましたっけ。2日ほど泊まり、敗戦で樺太から逃げてきたこと、たくさん人が死んだこと、死にそうになったこと、そしてどうしてお坊さんになったかということなど、本当にいろんな話を聴かせてくれました。...そんなことを、ガンジー爺さんを見て、思い出し、「乙忠部の坊さんには借りがある」という歌を作りました。レゲエのリズムで刻みたいのですが、なぎらけんいちみたいな感じになっちゃったなあ。

...今はもう会えない乙忠部のお坊さん。感謝しています。ああ、今度の夏にでも、拝みに行きましょうか...

写真は、12.04の放課後の1枚。教室前で卓球する6年生。(F2ちゃんが撮ったんでしょ)

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