昨日へ     2003年12月11日   明日へ

凶悪な犯罪を犯した場合、少年であっても、公開手配をするという通達が出されました。イラク派兵の件で、気持ちがめいっているところで、またしても嫌な話です。

ここ数年の少年犯罪の原因は、少年にはありません。これに関しては、僕は言い切ります。少年の罪は、大人にあります。大人が自分自身の作ってきた社会を振り返ることなく、少年個人の責任に全てを課すのは、おかしいです。

「教育」っていうのは、あれこれと課題がある子どもたちを育むこと。罪を問うばかりでは、育むことにならないのです。

この頃、「不審者」がいるという話があり、みんなに注意するように話すことがあります。危険な目に合わないように、早くに帰るんだよ。危険な目に合いそうになったら、逃げるんだよ。大きな声を出したりするんだよ...。

でも、これだけで終わるのは、何だか教育的じゃないなぁと感じるんです。子どもたちに「人を信じること」「人に信じられること」の大切さを伝えたいのに、「人を疑うんだよ」と教えるのは、果たして何のためなんだろう?! だから、僕は話します。知らない人に声を掛けられても、知らんぷりをしなさいと言っても、お婆さんが足を痛くして、しゃがんでいて「すみません」と、苦しそうな声で言ってきたら、知らんぷりしないんだよ。みんなは、あたりまえじゃんと笑います。でも、この頃は助けること、助けられること、そんな元々あったはずの人間関係を、ますますなくしてしまいそうで、心配です。

もう一つ、みんなに話しました。「不審者」って言われている人は、どんな気持ちでいるだろうって。孤独かもしれない。誰かに話を聞いて欲しいのかもしれない。君たちに危害を加える行為は、絶対に許されないけれど、その人の気持ちを少しだけ考えたい気持ちだよ。

よく新聞に載っている「不審者」の事件記事を読むと、「不審者」の多くは無職だったりします。住所不定だったりします。「むしゃくしゃしていて」の犯行はよく聞きます。日常が、理不尽だったり、どうしようも行き場所がなかったりすれば、不愉快さが自分の中に蔓延するでしょう。自暴自棄にもなるのではないでしょうか。それを「我慢しろ!」「努力しろ!」と、きれいごとを羅列したところで、問題の解決にはなりません。

人と人の絆が大事という政治家は多いですが、なんだかこの頃の政治は、人と人の絆を分断してばかり。僕は、もっともっと人を信用できる日々を作っていきたいですよ。

写真は、1999年8月の白川郷隣町・五箇山のキャンプ場での1枚です。炊事場を、テントから撮ったものです。

あのとき...かれこれ10日ばかり一人でバイクツーリングをしていた僕でした。能登半島を回ったときは、天気がよかったものの、後半はずっと雨の中のキャンプ。疲れていました。そして、寂しかったのかなぁ。人の少ないキャンプサイト。僕は、雨音を聴きながら、テントで酒を飲んでいました。見下ろすバンガロー・炊事場では、子どもたちが合宿していました。僕は、子どもたちの様子を酒のさかなに、眺めていたんです。見ていると、子どもたちは、リーダーの言うことをきかず、好き勝手な様子でした。僕は、しばらく見ていたのですが、こりゃだめじゃん!と、炊事場に行き「君たち! きちんとリーダーの話を聞きなさい!」とお説教をしてしまいました。...ああ、何とも恥ずかしい僕の歴史。あのときは、正しいと思っていたんです。けれども、今思うと、でしゃばりだったなぁ... でしゃばってしまったのは、お酒のせいかもしれません。寂しさだったのかもしれません、いわゆる人恋しさって奴ですなぁ。でも、今となっては、いい教訓です。そして、よく思うんです、あのとき僕は「不審者」だったって。

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