戦場のことを考えます。たとえば、イラク、パレスチナ。中東に位置する国は、この列島から近くはないです。遠い国のイメージがあります。でも、その距離感が、自分の仲間のこととして感じられないでいるならば、あらためたいです。
「難民」ということばがあります。家を、町を、後にせざるを得なかった、または奪われた人たち。家を、町を、奪われた人は、どこへ行けばいいのでしょう。「難民」ということばは、遠い国の人たちのことをさしているように、いつの間にかに僕は考えていました。僕にとって「難民」は、支援をする対象でした。でも、ふと思ったんです。僕は、難民になるかもしれない。
もしも、この列島で戦闘が行われれば、僕はこの家を、この町を、離れなければならなくなるかもしれない。さあ、僕は、どこへ行くのだろう。15年戦争末期、中国東北部から逃げ帰ってきた人の話を聞いたことがあります。乙忠部のお坊さんが、樺太(サハリン)から船で逃げてきたことを、とつとつと語ってくれたことがありました。日本大使館に駆け込もうとした人が、阻まれた映像が流れたのは、そんなに昔ではありません。ビザが切れ、入管に捕まることを恐れながら暮らさざるを得ない人がたくさんいます。ああ、台湾の空港でパスポートを見せたときの、あの足元の赤い線を思い出されます。
この列島で戦闘が始まれば、僕は難民になるかもしれない。戦闘の中、独りで、命をつないでいかなければならないかもしれない。僕が、難民にならないためには、どうすればいいのでしょう。金を貯めるのがいいのでしょうか。何かしら武装すればいいのでしょうか。船を所有すればいいでしょうか。「敵」をやっつければいいのでしょうか。
もう、戦争は始められていて、僕は何とかしなくてはいけないと考えています。アメリカとのいい関係は、全ての人々とのいい関係とは限りません。ああ、アメリカで暮らす人たちは、難民になることをイメージしているでしょうか。み〜んなが、安心して眠れる夜は、もう少し先かもしれませんが、ちゃんと諦めずにイメージを消さないよう、灯を灯して行きましょう。
写真は、1/03の鹿島台の白鳥です。かっぱえびせんを食べ過ぎて、咽が乾いて水をごくごくっていう瞬間です。ああ、この白鳥は、パスポートなしで、あっちこっち自由に往来しているんだなぁ。