昨日へ     2004年01月29日   明日へ

いつも僕は、朝トイレで座っている時間を、朝刊と一緒に過ごします。出掛けた先でも、何か文字と一緒でないと、落ち着きません。というか、もったいない気持ちになります。トイレで座っているときって、その用だけでは惜しい感じの集中できる時間なのです。今日も、新聞を持って座っていましたが、僕の気持ちにぴたっとくる文章に出会い、嬉しくなりました。朝日新聞・文化総合ページの「ゼロヨン時評」というコラムです。今日は、映画監督の森達也さんが書いていました。タイトルは「お礼を強制する社会は」というもの。内容は、こんな感じ。財布を落とした。警察から電話が来た。電話の内容は「拾った方に書類を渡しています。謝礼をしてそれをもらい、記入してから来てください。財布はそれと交換です」というもの。そんな警察のやり方への批判の後、《警察の怠慢は確かに困る。でも人の意識や情緒を管理するつもりなら、もっと困る。そんな風潮が強くなってきている。》と森さんは書いていました。そして、文部科学省が配付した「心のノート」のことを挙げていました。そこも引用させてもらいますね。《2年前に文部科学省が、全国の小中学校に突然配付した「心のノート」を思いだす。礼儀や愛国心、社会の秩序などの言葉が氾濫するこの道徳副教材に、「正義はあるか!」との表題で、こんなフレーズが掲載されていた。「不正や不公平を憎み、それを断固として許さない。そんな強い力を、私の中にそして社会の中に育てていきたい」 似たようなセリフをどこかで聞いた。そうだ。ブッシュの一般教書演説だ。》

「心のノート」の問題。そして、「心」の専門家系に頼ろうとする風潮に、僕は危惧を抱きます。「心のノート」ではなく、「魂のノート」とか「精神のノート」とか、もっと突っ込んで「大和魂のノート」とか「少国民のノート」とかにすると、もう少し実態が明らかになるかな? そんなことを考えた今朝の個室でした。

写真は、1986年3月の水俣で撮った一枚です。

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