昨日へ     2004年03月08日   明日へ

かなり早朝に目が覚めました。夢を見ました。

そこは、中国の町らしい。6年生のある少年が、学校に行かない。僕は、じゃあ一緒に行こうと誘う。東京都内のJR駅前の風景。雑踏の中、小学校は「小力」と書くという。それだけを頼りに、僕は歩き出す。すぐに道に迷う。上下に移動することはなく、ひたすら水平な世界を歩く。道を尋ねる。英語で話す。中国語は、さっぱり通じない。白い壁でできた街。人影が少なくなり、僕は独りだ。いつの間にかに、僕は河の中に入っていた。道と河が、同じなのだ。対岸が遠い。突然気付いた。ここは、南国なのだ。足元の泥に目がある。大きなアンコウを踏みそうになる。そして、一歩進めるたびに、まるで新雪の山を歩くときのように、足で確かめながら、ああワニだっているかもしれないとびくびくしながら、僕は歩いた。河の対岸は、台湾の淡水だったかもしれない。

目を覚まし、夢かうつつか分からないままに、6年生のことを考えていました。6年生が、あれこれと話しかけていたから、やっぱり夢だったのかなぁ。

早朝の頭は、いろんなことを考えます。まるで、僕ではないみたい。今朝は、こんなことを考えました。

今は、江戸幕府末期。黒船は、開国をもたらしたけれど、それは日本の帝国主義化を促しただけだ。ペリーは、ブッシュで、武力で「平和主義」の取り下げを圧している。では、江戸時代とは? 差別はある。けれども、適当に大らかに、それぞれに暮らしていた。戦いは、武士がする。民は、民なのだ。ならば、明治政府とは? 差別をなくすというよりも、自己責任という名の下に、助け合わない合理主義だ。四民平等? 苗字? それは、誰もが管理の対象になったということ。年金制度が干され、弱肉強食になり、ほら、財閥がお店を潰す。国家主義の侍たちは、会津の飯盛山で抵抗するだろうか。新自由主義のザンギリ頭は、牛丼は食べられないけれど、どれくらいペイするかを、数字とスピードの絶対正義の中に、胸算用するだろうか。体制の作る体制は、「江戸」であれ、「明治」であれ、抑圧的だ。ならば、僕はどこへ行く。僕は、そこでシャクシャインを想う。チャランケだ。徹底して、討論し尽くすアイヌの先輩たちのチャランケこそが、平和主義。多数決という合理主義が、討論の討論たる意味を結果だけに寄せるなら、それはもはや暴力でしかない。時間がない。苦労が多い。急がなくちゃ。無駄だ。と、すぐに諦める癖は、いつからついてしまったのだろう。いつまでも「平和」は、既製品にはならないから、自分たちで育てていくしかないのだ。コンビニエンスな、お買い得な、そして恒久を約束された「平和」はない。追求するのは、えらく骨が折れること。しかし、それを放棄したところで、「平和」は、来ない。アイヌの先輩たちの、あの壮大な討論に、学ぶ。国家主義でも、新自由主義でもない、暴力に繋がらない暮らし方を、僕は諦めない。

卒業を前にして、今日の4時間目には、体育館で「決意」を含めた流れのおさらい。そして、5時間目には去年の卒業式のビデオを見ました。少しずつ、現実のさよならの温度を感じられるようになってきたと思います。

6年生を送る会が終わったので、卒業式翌日の「祝う会」の準備をしながら、みんなに「限られた時間なんだよ」と言う僕は、実のところ自分自身に言っているんだよなぁと、考えました。

別な話。鳥インフルエンザの件で、京都のある鳥屋さんの夫婦が、自死を選んでしまいました。僕は、かのかいわれ大根騒動を思い出していました。トラブルを、全て個人に帰していて、いいのでしょうか。管理不行き届きというならば、今後は全ての人が、より一層の管理を肝に銘じなければいけないのでしょうか。いろんな事件の度に、人の生活は窮屈になり、管理され、そもそもの体制や権力は問われず、直すべき・正すべきものは、決して鳥屋さん個人ではないのだと、葉を見て森を見ないと自死への選択を迫られることになると、僕は警笛を鳴らしたい気持ちです。ご冥福を祈りつつ、より一層の管理が、決して解決とイコールでないことを、霊前に捧げたいと思います。

写真は、放課後に誰がが撮ったあやしげな少年少女です。

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