昨日へ     2004年04月19日   明日へ

先日に引き続き、音楽のことを書きます。僕は、未だにあんまり楽譜って、読めないんです。コンプレックスがあるんだなっ。これは、小学校時代に遡る話です。

まず第一に、妹との関係ですね。夕張第一小学校には、鼓笛隊がありました。小太鼓とかトランペットって、花形なんですよね。何よりは、指揮者でしょう。優劣の序列のある日々、僕はいつも「劣」でした。勉強もできないし、運動も苦手、おもしろくもない奴で、気も利かない陰気な子どもでした。僕は、鼓笛隊の「花形」に立候補することもなく、結局リコーダー奏者でした。列になったとき、最後尾のリコーダー。僕はあの頃、とても背が高かったので、最後尾の最後尾。周囲で拍手する人たちが、拍手を止める頃に、道を行く最後尾リコーダーの最後尾は、とても嫌だったんだなぁ。まず、それが音楽を疎遠にしました。さて、妹たち。彼女らは、何だか何でもできちゃったんだよなぁ。トランペットとアコーディオンだったんじゃないかなぁ。兄が見ていても、かっこよかったもんなぁ。...というわけで、音楽が疎遠になりました。

またまた小学校のこと。音楽専科の先生がいました。あの先生、指揮棒の替わりに、木琴のバチを持っていたんです。細い棒の先に、丸い木がついた奴です。あれで、頭を殴ったんだよなぁ。あれは、痛かった。頭も、そして気持ちも。あれで、音楽がますます嫌いになったんですよね。

でも、歌は好きだったんです。中学校で歌った「野生の馬」とか「大地讃頌」は忘れないですね。富田勲の音楽を授業で聴いて、シンセサイザーに興味を持ったりもしました。また、家で食器洗いをしたり、犬の散歩をしながら、よく中島みゆきの歌を口ずさんだもんでした。誰も聴いていない夕張・旭町の山奥で、でっかい声で歌ったものでした。あのとき聴いていたのは、コロだけだったんだろうなぁ。

高校で、文化祭でYMOを演る先輩を見て、いいなぁって思いました。でも、僕にはできないって、決めつけていたんだよなぁ。予備校時代、札幌の北18条の貸しレコード屋で借りて、そこでテープに録音して、夜道をウォークマン聴きながら、自転車走らせたものでした。演劇青年を目指しつつも、それじゃ現実的でないと、つまんないことだなぁ...教員養成大学に進学した僕でした。

学生になり、中古レコード屋のバイトをして、たくさんの音楽を聴きました。たくさんの人に会いました。あれは、いい時代だった。楽器への憧れはあったので、オカリナを買いました。オカリナは、今も一曲しかできないなぁ。アニメ「母を訪ねて三千里」のエンディングテーマ。曲名もよく知らないんだけど、あの曲のためだけに、オカリナがある感じ。

そして、就職して、結婚して、新婚旅行に行くことなく特別休暇を東京で過ごし、お茶の水で、何となくベースを買い、でもペースはあまり活躍せず、そいつは現在ある卒業生の友だちの家。「先生、俺バンドやるんだ」という話で、貸してすのまんま。そろそろ返してもらおうと思いながら、時間が過ぎています。

さて、就職して、髪を伸ばし始めた頃、「ギターを弾く雰囲気」と言われつつ、全然弾けないことを、何となくいずく感じ始めました。ある同僚が、卒業を祝う会でギターの弾き語りをして、「これじゃん!」と決めました。そして、たくさんたくさん失敗を重ね、今、僕はギターなしで暮らすのが辛いなあという今日です。

ああ、だらだら書いたんですけど、僕にとってのギターは30の手習いなんです。何となく、10代に始めそうなイメージがあるんだけどね。バイクもそうなんだなぁ。あれも20を過ぎてから。下北半島を歩いていた頃なんて、バイクを軽蔑していたぐらいだったもんなぁ。

そろそろ40の僕なのですが、ますますきっと何かがあるんだろうなぁ。ああ、あの鼓笛隊の日々からは随分遠くに来ましたよ。

写真は、今年の正月5日の松山町の刀打ち。何となく、こんな気持ちの僕なのでした。

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