昨日へ     2004年06月02日   明日へ

佐世保で、小学校6年生の子が、同級生をカッターで切ってしまった。殺してしまった。小学校教員の僕は、この事件に、あまり驚いていません。こんなふうに書くと、小学校の現状がとても荒んでいるように取られるかもしれませんが、そういうわけでもないです。人が死んでしまう事件を、平常心で見送るわけでもないです。でも、よくあることのように、どこか冷めている僕です。

死ななかったら、どうだったろう? インターネットを利用していなかったら?

結構、あるんじゃないかと思います。いけないことって。そして、そこで教員は指導したりするんです。僕もこれまで、何度となく、怪我をさせた子を叱ったり諭したりしてきました。よくよく考えると、へたをすると命に関わりがあるような事件もありました。子ども同士、そして互いのおうちの方に行き、話しをしたり、聞いたり、謝ったり...。そんなことって、結構あるんです。

今回、残念なことに、佐世保の子は命を失ってしまいました。してしまったことを、その子はうんと反省し、そして更生しなければなりません。娘を亡くした...殺された親はとても辛いに違いない! それは、感じ入るのです。

今回、私が心配なのは、教育の機会が損なわれること。たとえば、カッター使用を禁じるとか、インターネット利用を制限するとか...。どう使うべきかを教えることを、止めてしまうこと。不安の材料に、禁止マークを付けることで、「未然に防ぐ」つもりになること。それらは、絶対に教育的じゃない。子どもたちは、これからを暮らしていくわけで、これからというのは「実社会」なわけで、そんなステージを前に、教員は...いえ、大人は、ごまかしたり、逃げたりしちゃいけないよなぁと、僕は思っているんです。

きっと、権力者たちは、勢い付くでしょう。命を大切にする教育が不十分だから、ちゃんと「心のノート」を活用して、「いい子」を育てなければならない!と。きっと、権力者たちは、語るでしょう。子の犯罪は、親の責任。親の家庭教育が、なっとらん! 教育基本法を変えて、家庭教育にも目が届くようにすべきだ!

ぎすきずして、息苦しい世の中に、過剰の監視、抑圧的管理を強いていて、そんな中で、のびのびと育つなんて、無理なんです。正直言って、今の日本列島で暮らしていて、ゆがまないでいるほうが、難しいです。自分の中にある「自分らしさ」が、自然と反応してしまいます。その反応は、ときに誰かへの暴力かもしれない。自分への暴力かもしれない。または、無気力かもしれない。「便利」「コンビニエンス」な中で、僕たちはいっぱい大切なものを失っていて、いくら新しい制度やルールや罰則を設けたところで、薬をより多く摂取する不健康のように、快方には向かわないのです。

じゃあ、どうすればいいんだろう? かつて、僕が学生だった頃は「革命」が何とかしてくれるみたいな空気がありました。ん〜、雰囲気としては、好きです。でも、「革命」後って、どんななんだろう? 

今、21世紀になり、僕の回りの「革命」は、支配者側からの「革命」で、何のことはない、個人(権力を持たない人)の権利を奪う「革命」にすぎないです。「IT革命」? 家庭教育が大切と語る前首相が、同時に「IT」なんて言い出していて、ああよく分かっていないじゃんと、ため息をついているうちに、世の中は確実に悪くなっています。ああ、どうすればいいんだろう。

とりあえず、いろいろなくしてみよう。携帯電話をなくす。生きられなく...なるかもしれませんね。コンビニをなくす。面倒になりますねぇ。お金をなくす。仕事って、どうなるんだろう。貯蓄って、相続って、僕は大きな問題だと、思うんですけど、どんなもんでしょうね。自動車をなくす。もちろんバイクもね。電気をなくす。ああ、もちろんインターネットもね。すると、何が還ってくるだろう。

時間が還ってくるかもしれない。無駄な時間。しゃべる時間。貧富の差って、どうなるだろう。ああ、夜が還ってくる。

こういうのって、いわゆる現実的じゃない。でもね、こういうことって、ときどき考えたほうがよいような気がしているのです。

明日、健診なので、ゆっくりと過ごすことを意識する夕方です。早くにご飯を食べました。ゆっくりとゆっくりと風呂に入りました。新聞を持ち込んで、何だかんだ言って1時間入っていました。我ながらに、「これをする!」とか、決めると徹底するんだなぁ。

写真は、5/15の亘理のサーファー親子。いい感じだったなぁ!

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