昨日へ     2004年06月16日   明日へ

僕は、「はじめ人間ギャートルズ」が好きでした。あのエンディングテーマは、今でも僕の心のベスト10に入るなぁ。「何にもない 何にもない 全く何にもない 生まれた 生まれた 何が生まれた 星がひとつ 広い宇宙に 生まれた 星には夜があり そして朝が訪れた 何にもない大地に だだ風が吹いてた 吹いてた」ってやつ。

僕は、神経質な少年でした。だから、ご飯にはみそ汁がなくちゃだめでした。米の飯なとの夕飯は考えられず、うどんを食べるにもご飯が必要でした。パンの夕飯なんて、全く考えられませんでした。

寝るときは、絶対に丹前が必要でした。丹前を知らない人もいるかもしれません。連れ合いのぴよさんは、「かいまき」と言っていました。あれがないと、肩を覆うことができず、落ち着きませんでした。

僕は、いつもメールチェックをしていないと、気が済みませんでした。こりゃあ、この頃のことですな。朝と夜には、必ずメールチェックをしないと、「何か」があると困る!と、何となく思っていたんです。

僕は、いつもカメラを持っていました。これまたこの頃のこと。デジタルカメラを手にしてからは、尚更でした。いつ、どんなシャッターチャンスが訪れるか分からない! 普通のフィルムカメラじゃなくなって、尚更のこと、カメラをいつも携帯していました。

バイクでなくちゃいけない!って気持ちもありました。北海道の夏を、四輪車で走るなんて、なんという悲しく残酷なことでしょう! やっぱりいつもいつもバイクが近くにあってほしいと、思っていました。

さぁて、それがこの頃、段々と楽になってきました。別に、みそ汁がなくても平気だし、タオルケットだけでも大丈夫。Macなしでも、困らずに暮らしています。免許だけ持って、バイクに乗っても、まあ何てことないです。何というか、執着するものが減っていて、自由になっています。

それでいて、暮らし方や考え方については、何者かに支配されないとする頑固さは、強靱さを増しているようです。「しなやかさ」という強さに、40歳を目前にして、やっと気付いた感じです。真なる「過激」とは、表面上のものではない。ファッションで語られてしまう見かけではなく、自ら発する天然の発光体を失わないこと。人為的に、彫るものが入れ墨ならば、天然に浮き出るくまをこそ、僕は誇りにしたいと思っています。

写真は、6/13の岩手山です。

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