昨日へ     2004年08月10日   明日へ

朝起きて、今回父さんに渡すつもりでいたフイルムからデジタル化した写真CDを焼きました。僕や妹の小さい頃、親戚のおじさんの結婚式、もう亡くなってしまったおじいちゃんおばあちゃんたちの姿、夕張の昔の風景...。父さんのiBookのモニタに、昔の場面がぱっと映ると、びっくりというより、ぎょっ!という感じ。ぎょっとして、それからじんわりと、昔のあれこれを思い出します。引き出しを、自動的に開けちゃう感じ。まあ、いろいろ見てみてください。小説の材料にしてみてください。

13日に高校時代のクラス会があると聞きました。でも、僕は12日には松山町に帰る予定です。そこで、集まったみなさんへの手紙を書くことにしました。例によって、筆ペンを使い、マンガ入りで、絵本のような手紙です。ある元クラスメイトに郵送し、会場に持っていってもらおうと思ったんです。「何だかすごいね」とは、母さんの感想。「コピー取っておいたらいいんじゃないのか」とは、父さんの感想。「いつものことです」とは僕の応答。

連れ合いぴよさんと僕は、四輪車で末広の郵便局に出しに行きました。その後、丁未に向かいました。風致公園の一番上に行き、展望台から眺めると、太平洋も日本海もしっかり見えました。苫小牧から白老に掛けての、幾つかの工場の煙突がしっかり見えます。札幌の大倉山のジャンプ台が、森を爪で引っ掻いたように銀色に輝いていました。いつもの樽前山は、どんとしています。あちこちでキリギリスが鳴き、トンボはアキアカネ。雲は低く、そして高く、秋の風の中でした。

丁未の道で、父さん母さんから聞いていたハスカップ畑跡地を見つけました。数年前に、町が観光用にハスカップ畑を作ったものの、採算が合わず、そのままになったという畑。もう実は少ししかありませんでしたが、二人で採りました。採りながら「熊さんも採りにくるかな」という話になり、「何となく、あのへんにいそう」と言いながら、四輪車に戻りました。かつて、独りで山ん中に入っていたのに、ぴよさんにそう言われると、不安になる僕。山に入り慣れていない日々のためかもしれません。

福住に行きました。炭住を壊した後に「郷愁の丘」という施設が出来ていました。駐車場には、「500円なんですけどいいですか」とすまなそうに話すアルバイトのお兄ちゃん。僕たちは、かつての夕張の写真を見、母さんの絵と父さんの本を確認して、福住を後にしました。

ラーメンを食べるために、「のんき屋」です。やっぱり、いっぱい待ちました。「のんき屋」の回りは、猫だらけ。嫌いな人は、ちょっと辛いかもしれません。僕は、しょうゆラーメン。ぴよさんは、塩ラーメン。「のんき屋」のおばさんは、あいかわらずの姿で、引き出しから麩を出していました。馴染みのおじさんと「とうとう、敷き居が落ちちゃってね」と外れた戸を指さして話していました。「のんき屋」のラーメンは、佇まいに代金を払っているという感じですなぁ。

末広のかね安に寄り、コーヒーを買いました。旭町にも末広にも鹿ノ谷にも...かつて暮らした辺りには寄らずに、紅葉山に戻りました。

明日、旭川に行く予定にしたので、今晩はまた江別です。また四輪車で向かいます。北海道の丘を登り、下り、まっすぐの道を走りました。

夜、妹が買ってきてくれたお寿司を食べました。僕が食べたくて買ったかんかい。ウイスキーに合います。あれこれ語り、論議し、僕は寂しく、悔しく、不愉快になり、ぷいと外に出ました。夜の道を独りしばらく歩き、結局タクシーに乗り、新さっぽろ。ワンショットバーでもあれば入ろうと思いながらも、分かりません。地下鉄駅前で、ゆず系を弾いて歌う青年独り。しばし聴いて、ペットボトル飲料を渡して、励まして、立ち去りました。結局、飲み屋には入らず、閉店間際のミスタードーナツで、ドーナツを買い、タクシーで帰りました。ああ、気が短いのは、本当によくないです。でも、それが僕だから仕方ない。あわてない・あきらめない...誇りを持って生きるんだよっ。がんばれっ。

写真は、のんき屋の猫その一です。

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