昨日へ     2004年09月04日   明日へ

今日は、仙台で教職員仲間と教職員評価制度についての会議をする予定になっていました。だから僕は、これまで書いたあれこれの文書をまとめ、編集レイアウトし、版下を作り、配布準備に時間を掛けました。10時に家を出て、バイクで仙台へ。仙台市市民活動サポートセンターで、16ページの個人誌を印刷し、紙折り機に掛けて、まとめました。ギター屋さんだけ覗き、婦人会館へ。教職員評価制度についての会議です。

正直言って、僕は憤っての参加でした。なぜなら、闘うはずの先輩達は、全然闘ってないじゃないの?!と思っていたからです。会議が始まっても、僕は静かにしていました。状況分析ばかり進んでいくのなら、すなわち闘いの方針が見えなかったら、憤りを露にしなくちゃていけないなあと、少し不安でした。

けれども、結局、何とか闘いの展望は開ける見通しです。あんまり安心はしていないのですが、闘いはきっとこれから! そう信じましょう。会議に出て、とりあえずよかった。そう感じました。

下は、個人誌「あらが」の冒頭に書いた文章です。

『抗って 初めて奴隷 ひとになる』

 管理・監視されることを許して、権力と闘うことはできない。管理・監視は、支配だから。管理・監視は、抑圧だから。
 ひとりの人として、自分を生きていたいから、生かされることを拒否する。そのためには、闘わなくてはならないときがある。
 ときに合理的に見えるスマートな道筋は、ずるさを呼び起こし、正当性のためなら、誰かをおとしめても構わない正義を導く。私は、ずるくなく生きたい。まじめに、暮らしていきたい。
 少年だった私は冒険したい気持ちを抑えることに慣れさせられた。「大人になってから」「大学に行ってから」「経済的に自立してから」 いつも自由は時期尚早で、いつも自由は、現実的でないとされた。先延ばしの「そのとき」は、いつもいつもやってこない。私は、いつ「そのとき」を迎えるのか。いつまで待つのか。
 奴隷は、抵抗しない。抵抗しないから、奴隷なのだ。諦めているから、奴隷なのだ。奴隷が、囲いの中に甘んじず、自己を語り主張したとき、奴隷は奴隷でなくなる。権力は、暴力を振るうだろう。正当な理由をかざし、ときに命を奪うだろう。けれども奴隷は、奴隷の死を悲しまない。悲しむならば、そこから希望もあるだろう。感情が、思いが、怒りが、奴隷を人として、動かすならば。
 私は、奴隷にはなりたくない。私は、人として生きていく。奴隷も、そして権力も、この星にはいらない。「そのとき」は、きっと待っていてもやってこないから、日常の中から、私はしっかり私であり続けたいと思う。

雨が降りそうな道を、バイクで急いで帰ります。今日は、連れ合いぴよさんのお父さんお母さんが、家に来るんです。もう来ているはずなんです。帰って、食事はほとんどできていて、僕はシャワーだけさせてもらい、食事。先日のぴよさん妹夫婦が相談に来たことと同様の件についての話し合い。多岐に渡りながらも、そして深夜に及びつつも、いい時間が過ごせました。ありがとうございました。つくづく、人は一人では生きていないものだと感じます。たくさんの人と共に暮らせる幸せは、失ったときにきっと身にしみるに違いないと、難しい想像をしたりしていました。僕は、いつのまにか年を取ったのかもしれませんね、いやはや。

写真は、昨日の学校での1枚。5時間目にプールに入るので、みんなそそくさと水着に着替えるのですが、それでもやっぱり「サッカーしよう」と職員室に来た3年生。結局僕も、水着で裸サッカーをすることになったのでした。

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