昨日へ     2004年10月25日   明日へ

新潟の地震は、思いの外大きく、心配です。けれども、今日の僕は学習発表会の振替休日で、ゆっくりさせてもらっています。少し、申し訳ない気持ちになります。

正しいことをする。それは、ときに大変だったりします。だからと言って、逃げてしまったり、見て見ぬふりを正当化させることはできないです。きちっと、ルール付けがされれば、きっと楽なのですが、そうできないあたりが人間の暮らしなのです。だから「優先席」の存在なんて、なんか嫌なんだなあ。

以前も書いたことですが、前任校で4年生の子たちと雪の道を散歩したことがありました。国道沿いの散歩。あちこちから空き缶が、雪の中から顔を出していました。みんな、せっせと拾いました。べとべとの空き缶。僕は「無理に拾わなくてもいい」と思いつつ、「そのまんまにしておきな」とは言えませんでした。結局僕も一緒に拾いました。さりげなく、そんなことができる彼らを、尊敬しました。

さて、都会を歩いていると、それはそれはたくさん、ごみが投げられています。一つひとつを拾って歩くことは、かなり難しいです。人は、どのへんまでは拾い、どのへん以上はそのままにしてしまうという、ころあいを身に付けているんですね。必要なことでしょうが、そのころあいって、どのへんで学ぶもんなんでしょうか。

朝、人に会ったら「おはようございます」って言うもんなだよって、僕は言います。子どもたちは、「はい」と言います。そして、きっと実行していることでしょう。でね、都会で暮らしていたら、どうなるんだろうなぁと考えることがあります。律義な子は、雑踏の全ての人に「おはようございます」と言おうとするだろうなと思います。でも、それはとても難しい。そして、それは「異常」とされそうです。間違っていないにも関わらず。

ああ、この「ころあい」ってもの、どこでどんなふうに学ぶんでしょう。

僕は、阪神淡路地震のとき、ボランティアとして駆けつけませんでした。それが、今でも悔やまれます。自分の中でいっぱい言い訳を作った記憶が、まざまざと思い出されます。あれは、苦い。

今回の地震でも同様です。そしてまた、アフガニスタンでも、イラクでも、パレスチナでも、同様です。僕は、ここでこうしていていいのだろうか。何かをしようとするかしないかの、そのころあい。「大人」ということ。僕は、まだまだ埋もれないままでいます。だから、ときとして苦しい。

そんな僕は、今日は連れ合いぴよさんと一緒に過ごすということを第一に考えることにしました。四輪車で鳴子峡に行きました。紅葉です。いつも渋滞するので、初めて訪れた紅葉の鳴子。でも、やっぱり人込みでした。川渡温泉藤島旅館に寄って、お風呂にとっぷり入りました。家に帰って、ゆっくり食事をしました。いろんな「不幸」を「幸せ」を考えながら、とりあえず一緒に暮らす人を、不幸にさせないことが、大切だよなぁと感じた今日でした。

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