昨日へ     2004年12月05日   明日へ

強風です。暴風です。僕は、家でMac仕事です。iPodに充電をして、iMacにメモリを増設して、文書仕事と音楽仕事と写真仕事をしました。

夕方から介護の予定でしたが、別な人が介護に入ることになり、今日は行かず。強風で電車が遅れるかもしれないので、ちょうどよかったかもしれません。

先日、熱を出して休んだ日、お昼ごはんを食べるときに、ふとテレビを付けたんです。教育テレビで現代社会科の番組をしていました。「グローバル化」についての番組でした。

南アフリカでは、看護士がいわゆる「先進国」に引き抜かれ、看護士不足に悩んでいることが伝えられていました。救急患者が血にまみれながらも、何人も待たされている様子が映されていました。それでも、看護士は何倍もの賃金を約束しているアメリカなどを目指します。それは、看護士個人の問題には留まらないのです。

僕は、数年前から、新聞で「グローバル化」に反対する運動が報じられているのを読みつつ、その実際をよく理解できないでいました。よくよく考えると、それらの問題はいわゆる「先進国・日本」のマスコミは、報じるはずもないことなのですね。日本もまた、諸外国を侵略搾取しているから。自らの「恥」でもあるから。

たびたび僕は「金はときどき暴力である」と書いています。その思いは、日に日に強くなります。まさにこの「グローバル化」という問題についても言えるでしょう。僕は、全地球規模の「ああ野麦峠」なのだと考えています。

工場は女工がほしいのです。働く者がいなければ、他の工場に負けてしまう。負けは、工場主の没落・死を意味します。ですから、必死です。女工を得るためには、手段は選びません。金で買い、暴力で脅します。娘を売ってしまう親にしてみれば、借りた金を返せないという「仕方なさ」なのかもしれません。「契約上の法行為」なのかもしれません。みんなが食べていくための「最後の手段」だったのでしょう。

でも、そこでは「人間」は「金」で、売買されていたんです。「人間」が「金」ほどのものに、おとしめられていたのです。けれどもそこでは、「金」でのやりとりとして成立する以上、工場主に非はないことになるんです。誰もが、自分のすぐ後ろに「死」を感じる競争の世界は、自分以外の者の「死」に感情を向ける余裕・人間らしさを奪います。

僕たちが産まれたとき、既に世の中には「金」がありました。小さな子どもたちは「買って」という言葉を早くに覚えることでしょう。物を手にするためには「金」が必要であることは、挨拶よりも早く記憶・経験されているにちがいありません。

だから、「略奪」という行為は、きっと驚きをもって一気に自分を犯していくだろうと、僕は考えます。これまで、教室でいわゆる「生徒指導」として、子どもたちにこんなことを話したことがあります。

コンビニに行くのね。そこには店員はいないの。友だちが言うの。「ここにあるもの、ほしいもの、みんな持っていっていいよ」って。「それじゃ、泥棒じゃないか」って言うと、「大丈夫。店員さんは友だちだし、絶対に文句言わないよ」って、にやりと笑うの。他のみんなは、どんどん鞄に詰めているの。「ほら、時間切れになるよ。今しかないよ」って、せかされたとき、君はどうする?

って話。みんな、迷った顔をします。してはいけないことなんだけど、しないと「損」かもしれない。自分だけが「損」をするのは、嫌だという思い。そこで、もう少し揺さぶります。

そしてね、「だめだよ! 泥棒するなよ! 鞄の中から、全部返しなよ!」と言うと、みんながじろりとにらむの。「じゃあ、もう友だちじゃない!」「誰かに言ったら、どうなるか、分かっているんだろうな!」そんなふうに言われるの。すると、優しい友だちが静かに言うの。「ほら、一つだけもらっておきなよ。一つだけなら、気にしなくていいよ」って。君はどうする?

「金」で買うという「常識」を覆されたとき、人は人を失うかもしれない、そんな不安が僕にはあります。この話をした後、「いけないことは、いけないのです」という話をします。「自分で犯した失敗は、たとえ隠していても、その事実で脅されます。弱みになります。だから、いけないことはいけないんです」という話。真っ当過ぎるけど、真っ当でいいんです。

「略奪」は、戦闘行為。南京大虐殺を、ファルージャを、思います。かつての「三光作戦」。武器を持って、市民を暴力で脅す日本兵は、血走る目で物を奪いました。女性を暴行し、抵抗する人・抵抗しそうな人・抵抗しないと見せかけて抵抗するかもしれない人...すなわち全ての人を、殺しました。回りの兵士がしているし、自分にはそうしていい「権利」があるし、相手には「非」があり、そうしないと「損」だから...

「グローバル化」という「野麦峠」。大竹しのぶの顔。南アフリカの病院の看護士の顔。雨降るイギリスのタクシーの窓。縫いぐるみを抱きしめる看護士の娘。八紘一宇。惨殺された妊婦の白黒写真。祝南京陥落の提灯行列。のらくろ。ピカソ。MADE IN CHINAのタグ。パチンコ屋の煙草の吸い殻。段ボールの家。プライベートビーチのパラソル。証券会社でくるくる回る数字。

この頃また、南の島で、その土地の人とともに働き、過ごす自分を、考えています。

写真は、去年の12月28日朝、台湾・台北のモスバーガー前で、僕をじっと見つめる白い犬です。

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