北海道で目覚めた朝です。本の部屋です。父さんの本棚には、部分的に少年だった頃の僕の本があり、何冊か手にとってみます。すると、懐かしい字で、懐かしい思春期のメモが残っています。あの頃のサインもあり、ほろ苦い。記録は、記憶を呼び起こします。これが、帰省というものなのかもしれません。
昼過ぎに、妹車で降りしきる雪の中、札幌の街に送ってもらいました。とても久しぶりです。一人で札幌の街を歩きます。狸小路を歩き、楽器を眺めます。4丁目プラザで、CDや服を眺め、ついでにPARCOにも行ってみます。
何となく購買意欲があり、冬用のちゃんとしたジャケットをバーゲンの中に見つけようかと思ったりして、ぶらぶら。地下街に下りて、人並みを眺め、リーブルなにわで立ち読みをします。ギター雑誌を見て、中古楽器屋の場所を探しました。でも、吹雪の中、ずっと歩いていく意欲はありませんでした。
札幌駅方面に足を進めます。駅前の変容は、秋に来たときに見ていました。北口に向かい、夕方から集まりのある「エルプラザ」を探します。すぐに見つかりました。な〜るほど!、「エルパーク仙台」と同じですね、男女共同参画社会のための「エル(Lady)」なんですね。
昼ご飯を食べていなかった僕は、適当にラーメン屋に入り、そしてアウトドア用品の「秀岳荘」。思いがけず、なんとなくへんな、それゆえに僕っぽいウールのジャケットを見つけて、買いました。ふむって感じ。時間があるので、駅にもどってぶらぶら。そしてまた「エルプラザ」です。
今日は、自主教研「日の丸・君が代」問題交流集会があるのです。会場に着いて、恣意的な長期特別研修をなくす会の「なくす会通信06改訂バージョン」を置いて、席に着きました。何度かお目に掛かった方もいれば、知らない方もいます。何だかんだいって、席はどんどん埋まり、結局100名の参加です。
去年の埼玉での全国教研のとき、初めて参加した自主教研でした。そのときも、「不適格」教員排除攻撃に対する闘いについて・戸田裁判への支援を訴えました。今回も、同じように発言しました。比較的早くに、発言の機会が回ってきたので、「教職員評価制度は、各都道府県で、どうなっていますか?」などの問いかけが多い発言にしました。
いろんな方が各地の活動について発言します。やっぱり東京の方の話に、注目が集まりました。石原都政の横暴。それは、全国の道府県に及ぶ可能性をはらんでいます。東京の闘いを、しっかりと支えなくちゃ大変な事になります。
今回、在日のイムさんの話が心に残りました。今の事態は「日の丸・君が代」法制化がなされたときに予想されたことではなかったのか。そのとき十分に闘わなかったツケではないかというお話です。東京の教員の方が、主任制をそのままにしていたことが大きかったとこの頃思うのです、と話していました。北村さんも似た角度の話をされていました。勤評・学テ闘争のときに「実害がなければいいのではないか」としてしまったということについてのお話です。
僕が教職員になってから、15年が経ちます。僕が学生の頃、初任者研修制度導入反対の運動をしました。中曽根が臨教審で、学校の自由化を進めようとしていた頃のころです。あの頃「戦争ができる国家作りだ」と言ってはいたものの、それはスローガンの域でした。危機感は、今とは全然比べ物になりません。反省です。
今日の自主教研である方が話していました。「でも、まだ命を奪われるところまでは行っていない」と。なるほどと思いました。このままでは、命を奪われる可能性はあるのだと。そうなってしまってからでは遅過ぎるし、そうさせない努力は、今しなくてはならないと。6時から9時半まで、有意義な自主教研でした。夫婦別姓関係で名前だけ知っていた方や、夕張で教員をしていた方が、わざわざ声を掛けてくださいました。嬉しかった。
自主教研後の交流会に、参加しました。居酒屋です。30名以上の参加。部屋にぎっちりと入り、呑みながら、いろんな話を聞きました。しました。いつも思うことですが、顔が見えて、名前が分かり、どんな声なのか知り合えているって、嬉しいことです。教職員だけでなく、一般の方もたくさん参加していて、いいなぁと思いましたよ。僕は、独りではない。僕は、これからも試行錯誤しながらも、生かされない日々を、自ら生きていこうと、気持ちを新たにしました。今日出会ったみなさんに、感謝です。
地下鉄で帰ろうと思っていましたが、12時を回り、終電に乗り遅れて、結局タクシーで帰りました。たいして酔っていなかったので、タクシーの運ちゃんと、いろんな話をしました。ああ、なんと充実した一日だったろう。感謝感謝の雪の日でした。
写真は、今日の一枚。北12条あたりで、もくもくした雲がくもくもでした。