昨日へ     2005年01月19日   明日へ

昨日、教育基本法学習会の依頼が新たに入り、頭の中の整理をしているところです。

いろんな集会や講演会に参加する僕ですが、ときどき不満を感じます。たとえば「教育基本法改悪反対」という集会には、既にそう考えている人しか集まっていなくて、いろんな人のいろんな主張に対して、異議は全然ないんです。そして主張する人にしても、会場全体の拍手を当然みたいに見るのです。同じ意見をみんなで反芻し合って、集まりが終わり、そしてみんな家に職場に戻っていく。一瞬、多くの人が「問題意識」を抱いているかのように錯覚するけれど、そんな錯覚のために集まるのなら、かえってよくないのではないか。そんなことさえ思ってしまうのです。

意見を異にする人と、ちゃんと出逢い向き合うことが必要。同じ意見の人としか一緒にいないから、世の中は全然変わらない。

年越しライブで、喜納昌吉さんが言っていたことが、ふと浮かびます。戦争は簡単。平和は面倒くさいし、大変。

そうなんです。「平和」って大変。「平和」って面倒くさい。だって、暴力やシステムや慣習で、「こういうもんなんだ」と決めつけるのではなく、話し合うんですもん。誰かが命令して、みんながそれに従うって世界じゃないんですもん。「平和」は、大変だ!

あまのじゃくな僕は「平和憲法を守ろう」って言い方には、ちょっと異議があるんです。日本国憲法があることが「平和」ではない。それを、活かしていくことが「平和」への追求なんです。なーんにも努力をしないで、日本国憲法があることが「平和」だなんて言っていたら、ほら戦争の中にあるじゃないですか。「平和」は、ゴールインできるものじゃない。果てしないものです。それを追求し続けることが、僕たちには求められている。それを追求することを止めたら、途端に「平和」は失われる。それはまるで「幸せ」のようです。

何を今更という感じかもしれませんが、ここに日本国憲法前文を載せて起きましょう。僕が最もこだわるところは、珍しく赤文字で載せますね。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

写真は、12/29の石垣島での一枚。白保のマングローブが、話し合いをしていました。

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