昨日へ     2005年01月23日   明日へ

今朝もゆっくり起きました。今日も、休日です。体がまだ川渡温泉のほんわかを覚えているようです。

文書を書き、音楽を聴きます。ちょっと一休みで三線を弾きます。外を見ると、雪が重力をかすかに受けながら、地面に着いてしまうのをもったいないように感じつつ、緩やかに舞っていました。雀よりも少し大きい渡り鳥たちが、田んぼと庭と屋根の上、さざめいていました。それは、まるで波のようです。

昨日、川渡温泉に浸かりながら、人の話に耳を傾けていました。おじいさんたちが、大崎市合併のことを話していました。古川市議会で「革新系」の議員が最後まで反対したこと、大きな市になること、人件費が削減されることなどを、合併賛成の見地から話していました。僕は、加美町で調理員さんたちの解雇があり、勤務時間も減らされ、大変だったことが胸にあるので、とても空虚に聞こえました。若い頃の僕なら、なんやらと口を挟んだんでしょうが、40歳目前の僕は、少しだけ分別があるんだな。静かにしていました。

おじいさん方の話を聴きながら、僕は乃木希典とTHE BLUE HEATSを思っていました。きっとおじいさんたちは、もしも戦争(戦闘)になったなら、どういう作戦を立てるか、熱い論議をするでしょう。あの戦法は失敗だったとか、俺ならこうするって。砲弾が飛んでこないところで、お茶でも飲みながら。地方自治体の合併も、なんだかそんな感じ。日露戦争でたくさん人が殺された。そんなときも新聞片手に提灯行列後の飲み会を楽しみにしていた空気が感じられました。

僕は、ブルーハーツの「すてごま」という歌を思い出します。「君 ちょっと行ってくれないか 捨て駒になってくれないか いざこざに巻き込まれて 死んでくれないか」

もしも、自分の娘が首を切られたら、どうだったんでしょう。仕事を失い、孫がピアノを習い続けられなくなったら、どうだったでしょう。収入源を失い、自尊心を奪われた息子が、アルコールしか頼るものをなくし、暴力を振るう日々の中にあったら。にこにこと語れたでしょうか。

「改革」は、あたかも「よいこと」です。首相は、郵便局を民営化すると言います。それは「よいこと」なんでしょうか。「民営化」は「改革」なのでしょうか。「合併」は「改革」ですか。「仕方ない」ことなんですか。「時代」とは、何? 「こういう時代」というものがあるとするなら、それは誰が何のために作ったものなのでしょう?

「改革」は「無駄」を省き「ゆとり」をなくし、「絶対安全」を求め、より強固な隙のない「管理」を強化させることでしょう。僕は、それが人間を人間でなくする営みにしか映らないので、やはり抵抗するのです。抵抗するための抵抗じゃないんです。自由のための抵抗。流されていれば、流す者の意図に操作されるだけ。

お昼に、連れ合いぴよさんとパスタを食べました。ついでに、ワインも飲みました。ああ、幸せ。でも、こういう幸せも、奪われる危険があるんだろうな。午後、昼寝をしました。これまた幸せ。世の中全ての人に、毎日小さな幸せが少しずつでいい、あればいいな。

写真は、2004.12.30の那覇・国際通りの犬くんです。彼は、今夜も人間たちを静かに見ているのでしょうか。

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