昨日へ     2005年02月03日   明日へ

昔「算数なんて何になる」と思ったことはありませんか。

「分数なんてできなくたって、生きていける」とか「絶対使うことはない」なんて、僕は思いました。言いました。そういう話を聞きました。それは、確かにそうなんだと思います。算数なんて「役立つ」ものじゃないです。別にやらなくたって、生きていけます。

でもね、そんなときに「絵なんて描かなくても」とは思わなかったのはなんでだろう。僕は、絵描きになりたかったからかもしれませんが、絵を無駄とは思わなかったんですね。ひょっとすると、人に褒められるのは「絵」に関わることだけだったからかもしれません。

さて、生きていくために、僕たちには何が必要で、何が無駄なのでしょう。そして、無駄なものはなくてもいいのでしょうか。結論から言って、僕は「豊かな無駄」はなくしちゃいけないと思っています。

小学校教員として、考えたとき、算数は無駄かもしれません。たし算のくりあがりや、わり算の筆算なんて、電卓がやってくれるじゃないですか。漢字だって、ワープロソフトを使えば変換してくれます。毛筆の習字だって、生活の中で使うことはなかなかないです。ああ、図工なんて、なくてもいいでしょう。リコーダーだって、やらなくても暮らしていけます。英語だって、日本で暮らすなら分からなくても、大丈夫じゃないですか。

でもね、そうすると、人間のためには、何が必要なんだろう?と僕は考えます。そもそも「必要」という見方あたりから、疑うといいかもしれません。運転免許は必要だろうか。携帯電話の使い方は必要だろうか。自動販売機の使い方は必要だろうか。はたまた、台風は必要だろうか。雪は必要だろうか。川は必要だろうか。カラスは必要だろうか。トンボは必要だろうか。

子どもは、いろんなことをしてみるといいのだろうと、僕はいつも思います。たぶん「無駄」はない。「しなくていいこと」は、命を失うことくらい。傷付くことも、傷付けられることも、みんな「必要」。

ああ、大人はどうだろう? 人生をえらくダイエットさせて、ガイコツのような合理的・効率的な暮らし。「損」をしないことにやっきになって、「お得」であることに獰猛な目を光らせて、何だか生き急いでいる人が、やたら多くなっていると、僕は自分をも省みているところですよ。

写真は、1日の一枚。僕の前に道はない。僕の後に道はできる。

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