先日、折り紙を買ってきました。みーんな、いろいろ作る作る! 休み時間の過ごし方として、夏は「外に行けー!」って感じでした。雪が積もっていると「そりでもしておいで!」 または「卓球どうぞ」 ひとところゴム風船バレーも飽きたところだったんです。そこで、次なるは、折り紙。
僕は、教員になるまで、鶴が折れませんでした。子どもの頃、不得意意識が大きく、避けていました。別にできなくたって、困らないんです。でも、折り紙って奥が深いです。基本的に、僕は自分の子ども時代を反面教師にしていて、失敗したことへの教訓を、今子ども時代を送る人たちに生かしていきたいと思っています。まあ、いろんな経験をさせる、喜怒哀楽をはっきりさせていいこと、前向きに顔を上げて、生きていくこと...。そんなあたりです。
さて、そうは言うものの、あんまり折り紙を好きじゃないと思う子もいますよね。まあいいんです。でも、紙飛行機とか、紙鉄砲とか、手裏剣なんかは、好きなんだな。まんまと、紙飛行機モードに入りました。そんなある子が真面目な顔で相談に来ました。
「あのね、このひこうきの名前、グレイトスピンにするか、北風三郎にするか、まよってるんだよね」 なーんか、嬉しくなりましたよ。「どっちもいいけど、おれなら、北風三郎かな」「うーん、分かった」と言って、ぴゅーんと飛ばしました。名前を付けようとするのが、いいなあ。思いついたいい名前で迷うのが、いいなあ。一所懸命に生きることって、こういうことでもあると思いますよ。
今朝、新聞を読んで、しばし目を瞑りました。詩人の栗原貞子さんが亡くなられました。
「生ましめんかな」 ああ、今のこの列島には、人の魂が感じられないことばかりです。物質でできている21世紀。でも、僕は広島に行き、あの暑い8月6日の日、車椅子でゆっくり台に上がった詩人・栗原貞子さんが、朗読する声を聴き、凛とした風を感じたのです。
人の死には、順番がある。だから、人が年齢を重ねて、そして亡くなっていくのは、受け入れるべきことです。けれども、作り上げられてきたものを、残された者が引き継いでいかなければならない。しっかりしろよ! 決して詩人・栗原貞子さんは、声を荒げないでしょう。けれども、その魂は、ますます燃え上がっているように、僕は感じています。引き継がねばならない。
写真は、2002.8.6.ヒロシマ大行動で、詩を朗読する栗原貞子さんです。ご冥福をお祈りします。