昨日へ     2005年08月06日   明日へ

ヒロシマの日です。僕は、博多で目を覚ましました。シャワーを浴び、ホテルの朝食をいただきます。ついつい明太子をいっぱい食べちゃうんだよなぁ。朝早い新幹線に乗りました。

新幹線で博多から広島まで、1時間あまりというのは驚きでした。ひょっとして、通勤通学している人もいるでしょうか。小倉の街を眺めながら、連れ合いぴよさんはどうやって九州から本州に渡るのかとワクワクしていましたが、何てことなくトンネルを抜け、山口の山が続くばかりでした。山口の山は、頂きに大きな岩を抱いているものが多く、印象的です。「長州」には一度ゆっくり訪れてみたいと思っていますよ。

広島に着きました。ひとまずホテルに行って、荷物を預けました。ホテルは、僕が初めてヒロシマに来た96年に国労の方と相部屋をしたところと同じでした。奇遇です。

電車に乗って、中電前で降り、平和公園を歩きます。たくさんの人。たくさんの声。たくさんの訴え。合唱をしている女性。家のようなものを作るワークショップをしている外国から来た人たち。手を合わせるお爺さん。車椅子を押す若者。日の丸の番をする警備員。

貞子さんのところでは、やっぱり今年も紙芝居をやっていました。チェロの方もいました。写真展が開かれ、子どもたちが列を作り鐘を鳴らします。部落解放同盟の皆さんが、子どもたちに歴史を教えていました。花壇の横に座って、絵を描く子。千羽鶴を掛ける人。インタビューをする中学生。取材をする外国メディア。60年前の今日・今この時間。ここは、人間が作った地獄でした。そのことを忘れまいとする人の営みは、尊いもの。失ってはならないもの。奪われてはならないもの。

原爆ドームです。小さな木のブロックに言葉を書き、それを連ねるプロジェクトをやっていました。こういうのにはすぐに応じます。世界を回るものということなので、英語で「LOVE LIVE LIFE」裏には「PEACE 平和」。葉っぱの模様も緑で描きました。100万人の人の顔を描いて平和を祈るという人がいました。韓国から来た方です。こういうときは、ぴよさんですね。描いてもらっていました。僕は、何となく遠慮。でも、みんなで大きな絵を描くワークショップには参加しました。みんな字を書きすぎていて、少しやりづらかったな。たくさんの人が、いろんな思いを(平和を)、いろんなやり方で表現していた(祈っていた)ヒロシマ。この思いは、ここ(ヒロシマ)に留めるものではなく、ここ(ヒロシマ)から、世界中のあちこちの町・家庭・職場...に広げられるものであることを、僕期待します。信じています。

カメラのバッテリー充電器のケーブルを一本忘れてきてしまったので、電気屋さんで買いました。お好み焼き(そば玉)を食べ、ビールを飲みました。そして、午後は「8・6ヒロシマ大行動」の集会とデモです。会場の体育館に向かうと、宮城から来た皆さんに会いました。たくさんの方の訴えを聴きました。辺野古支援のバッチを買いました。とても若者が多く感じました。それがとても嬉しい。

デモに出ます。3000名を越える集会だったので、宮城から来た皆さんと歩こうと思いつつ、どこだか分からず、会場の体育館を出て、球場のそばで待ちました。そこで東北の皆さんに合流。いろんなこと話し合う時間にもなりました。暑いヒロシマの長いデモですが、僕は東京を歩くよりも、好きです。県警・県教委を経由して、アーケード街を歩きます。そして、最後は平和資料館前です。たどり着くと、韓国の若者が踊っていました。いい感じ! プラカードには「No More War in Korea」の文字。僕は、はっとしました。朝鮮半島では、これまで何度となく戦争が繰り広げられ、そして続いています。その罪は、日本にある。日本にだけではないかもしれない。けれども、日本には責任がある。必ずある。仙台でデモをするとき「No War」と叫びます。それは、間違っていない。しかし、韓国の高校生の「No War」の重さに、僕は心がずんとしたのでした。集会・デモを結ぶ発言を栗原さんがしました。力強いです。ああヒロシマに来たぞと、改めて感じました。

夕方から、教育労働者交流会があります。僕は、そこに向かいます。行くと、それはたくさんの参加者でした。広島・東京の教員から、現場の闘いの報告がありました。さすがに、顔と名前が一致するようになりました。若い人たちが元気に発言しているのが、心に残りました。真っ直ぐに、真っ当に生きていくなら、闘わなくてはならない今日なのかもしれないと感じました。

宮城からということで、僕も発言しました。「日の丸・君が代」のこと。「不適格」教員排除制度のこと。裁判のこと。教職員評価制度と精神疾患のこと。短時間ながら、いつものように、自分の言葉で話せたのではないかと思います。最後に話したのは、次のようなことでした。皆さんは、きっと私の考えと、あまり違わないと思います。だから、きっと拍手ももらえると思います。でもね、同じような意見の人に、伝えるよりも、意見を異にする人・違う人にも、諦めずに話して行きたいものです。私など、教職員組合の支部委員会などで発言しても、私だけが拍手なしだったりするんです。結構辛いです。それでいて、会議が終わってから「○○さんの言うこと分かるよ」などと、声掛けられたりする。これまた、辛いです。しかし、慌てず諦めず、話し続けていきましょう。

やっぱり、同じような境遇にある方が少なくないんですね。頷いて聴いてくださる方が、とても多く感じました。発言を終えて、広島の若い方が握手を求めてくれて、嬉しかったな。今度は、僕もそうしよう。

退職する先輩3人の発言がありました。三者三様の語り口で、感動でした。任務・義務として闘ってきたんじゃないですよね、と感じました。誠実に生きていくとは、自主的な営み。誰かに命じられるのとは、違うのです。みんなで協力し合い、団結して闘う。それは、一人ひとりが自分でしっかりと自立しているからできること。誰かが命令し、誰かがそれに従うだけなら、しんどい中で助け合うことが難しくなることでしょう。信頼関係とは、尊敬し合うことなのかもしれない。信頼し切ってしまったり、尊敬し切ってしまったら、ひょっとすると討論はないかもしれない。意見の違いをぶつけ合う、そんな信頼関係とは、互いに高め合うということなのかもしれない。先輩の大らかな語りを聴きながら、そんなことを思いました。

交流会の後、お好み焼き屋さんで飲み会があるということでしたが、すぐには向かわず、平和公園に戻りました。灯籠流しを見たかったんです。ちょうど、大きな野外コンサートが終わり、人込みはすごいものでしたが、ちゃんと見られました。ヒロシマの灯籠流し。ああ、60年前の今夜、きっとヒロシマに、電気の灯火はなかったことでしょう。けれども、消えない炎が揺れていたかもしれない。今夜は、蝉がわしわしわしわしわしと鳴いていますが、その日はきっと蝉は鳴いていなかったでしょう。人のうめき声が聞こえていたでしょうか。どんな音が、闇の中、聞こえていたでしょう。

お好み焼き屋さんに行き、全国の教職員との交流会です。広島のお好み焼きって、皆さんがっちりとソースを掛けるんですよね。おまけに、マヨネーズもがっちりとは知りませんでした。さて、広島の先輩がジョッキ片手に声を掛けてくださいました。「私の弟は、宮城なんだよね」とのお話。聞いていて、びっくり! 何と、一緒に勤めたこともあるH先生! 感動でしたよ! そして、ご兄弟なんだなぁという何か柔らかなものを感じましたよ。感謝です。大阪の方にも、声を掛けていただきました。「不適格」教員排除制度のこと、分限処分のこと、精神疾患のこと。宮城と同じ課題を持っているとのこと。状況は、甘くありませんが、ああここにも仲間がいる!と元気付けられました。

お好み焼き屋さんでの交流会は、それぞれ自己紹介+αをしながら進んでいきましたが、時間がうんとかかり、僕はパスです。さっき話しましたから。その代わり、連れ合いぴよさんの話にリクエストがありました。僕としてはなかなか貴重なシーン。飲み会のエンディング挨拶は、ぴよさん。戦士の中、普通の市井に暮らす一人としての発言は、とても自然で、いい感じでした。感謝です。

写真は、夜の原爆ドームと川です。

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