昨日へ     2005年08月08日   明日へ

今朝は、博多で目を覚ましました。シャワーを浴び、ホテルを出て、歩きました。レンタカー屋さんを探しながら、通勤する人たちとたくさんすれ違いました。お寺の前では、お坊さんが掃き掃除をしていました。

レンタカー屋さんに着きました。今日は、長崎への移動日。鉄道ではなくレンタカーを選んだのは、僕が筑豊を訪ねたかったためです。夕張の炭鉱の佇まいは、もうかなり薄れてしまいました。けれども、僕の魂の中には、あの差別に満ちつつも人が人として汗流していた空気が残っているのです。あの佇まいを、筑豊に見ることはできるだろうか。土門拳さんの「筑豊の子どもたち」という写真集を見た思春期の僕から、40歳になった僕まで、筑豊にいつか訪れなければならないという使命は、今日果たされるのです。

借りた車は、三菱コルト。なかなかいい車です。まずは、直方に向かいます。途中、ファミリーレストランで、サラダバーなど頂きました。ああ、これまたゆったりした朝に感謝ですな。

直方で、石炭資料館にたどり着いたものの、朝気付いたことでしたが、今日は月曜日。やっぱり休館でした。仕方ない。外に展示されたコールカッターや、人車、蒸気機関車などを見学しました。何となく、夕張と同じ匂いがしましたよ。

直方から田川を目指します。ストレートに行くのは、もったいないので、あちこちわき道に入ります。鉱毒を克服した記念碑などを発見しつつ、田川に至りました。「青春の門〜筑豊篇」(作:五木寛之)の香春岳が、左手にずんとありました。正直言って、見てはならないものを見てしまったような衝撃が走りました。なぜなのでしょう。初めて訪れた田川なのに、香春岳に見られてしまった戸惑いだったんです。ああ、田川だ。筑豊だ!

田川も直方も、僕の記憶のページインデックスは、SLなんです。炭労の闘争というよりも、蒸気機関車の写真集の中で見た地名。炭鉱労働者の闘いは、詳しく知らないままです。本で読むことも大事でしょうが、ぜひお話を伺う機会があればと思っています。

田川の炭鉱資料館も休館。でも、炭坑節の煙突は高くそびえ、香春岳は台形にずんとしていました。丘の上には、朝鮮人慰霊碑がありました。日中友好の碑もありました。「歴史」は、年表の中にあるのではなく、こうして風吹く中にあり、それは忘れようとしたら(忘れさせようとしたら)、風の中に消されてしまうものかもしれないと、感じました。

僕は、北海道の歴史を「和人」として、夕張市立夕張第一小学校で学びました。屯田兵のこと、板市太郎のこと、ライマンのこと。母さんのお爺さんたちは、加賀から北海道に来たと聞きます。父さんのお爺さんたちは、佐渡から北海道に至ったと言います。僕は、炭鉱で働く祖先と、ニシン漁師として働く祖先の元に生まれたことを、誇りに思っています。

けれども、僕の中の「和人」としての落ち着かなさは、どうしたものでしょう。それは、アイヌ民族を迫害した立場にしか立っていなかったのではないかという、気付きによります。朝鮮人強制連行の話も、直接聞きました。その現場も、高校生の頃、よく見に行ったものです。僕がアイヌ刺繍の鉢巻きを締めることを、別な僕が軽蔑します。おまえは、加害者としての歴史を忘れてはいないかい?と。

そんな僕は、この頃以前よりも前向きです。国家という壁を、「働く者」「権力を持たぬ者」「自由を欲する者」「解放を願う者」という鍵が、ひょいと風通しをよくしてくれた感覚です。僕は罪深き歴史を背負った「日本人」でありながら、支配からの解放を(すべての人の解放を)闘う「人」だと。だから、今日、「朝鮮人」「中国人」の碑に手を合わせるときは、「ごめんなさい」と共に「同士よ、闘うからね」という気持ちでした。僕のアイデンティティーは、インターナショナルに広がっていくといいなと、自分に自分で期待するひとときでした。

北海道では、ズリ山。筑豊では、ボタ山。僕は、ボタ山を見たかったんです。勘の向くままに、田川の街の細い道に車を進めました。そしたら、ひょいとありました。「ああ、ボタ山」 声が出ました。やぶを、ビーチサンダルでこいでいきました。クモの巣が顔にくっつきました。廃屋がありました。人が作った山。人が捨てた山。でも、そこには、木が生えていました。木々は、人の歴史などに感傷せず、水を吸い、太陽を浴び、風に吹かれながら、根を張っていました。恐れ入りました。

香春岳に近づき、写真を撮りました。「ああ、気が済んだ!」と、声に出しました。果たせなかった墓参りをした気持ちです。高速道路に乗り、ナガサキを目指しました。

ラジオでは、郵政民営化が参議院で通らず、衆議院が小泉首相のやつあたりで解散される方向であることを報じていました。

長崎の街に入り、ホテルに行かず、レンタカー屋さんに行きました。宝町です。レンタカーは、明後日福岡空港で返すまで借りているのですが、明日は使う予定がないのです。一度返すことも検討したのですが、そのままでも値段は変わらないということなので、ホテルの駐車料を取られるよりとレンタカー屋さんに駐車です。これならタダですから。

路面電車で公開堂前で降り、「被爆60年8.8長崎反戦大集会」に向かいました。もう始まっていましたが、いいんです。参加することに意義がある。行くと、ちょうどジャーナリストの斎藤貴男さんが話しているところでした。さすが流々としたお話。しかも、気付かなかった足元のことを、ぱっと伝える小気味言い言葉。勉強したり、現場を歩いたり、そして何よりいろんな人の気持ちを分かろうする温かさ・鋭さが、彼の仕事を輝かせているのだと感じました。

ここのところ、どんな集会に行っても、知っている人は一人二人いるものなのですが、さすがに面識のある方はいませんでした。西日本の集まりという印象。それゆえ、参加の意義もあったというものです。東北大学の学生諸君と比べて、九州大学の学生さんは、昔気質な印象でした。少し懐かしかったかな。

あちこち冷房が効き過ぎているからかもしれません。連れ合いぴよさんが、体調思わしくなく、集会終了後、すぐにホテルに行きました。ホテルのロビーのテレビでは、衆議院を解散させた小泉首相が記者会見をしていました。そのイライラした表情を見ながら、独裁者なのだと理解しました。そう思うことは今までありましたが、今日本当にそうだと理解しました。恐怖政治は、言論・思想の自由を脅かします。首相は、日本国憲法の学習をあらためてすべきでしょう。何が大切なのか。首相の仕事とは、何なのか。

体調思わしくないぴよさんは、すぐに横になりました。僕は、どうしようかと考えました。体調思わしくないからなぁ...でも、ぴよさんは「どっかに行ってきていいよ。行ってきたほうがいいよ」と言ってくれるので、とりあえず外に出ました。

大波止のあたりをぐるりと歩き、とりあえず赤ちょうちんで、生ビールとチャンポン。そして、コンビニで、ぴよさんが食べそうなものなど買って、戻りました。一人旅の多かった僕ですが、ああ一人旅と二人旅と、どっちがいいということはないなと思いました。そして、連れ合いぴよさんとは、毎日二人旅なんだよなと考えました。

暗い部屋で、iBookを使ってメールチェック。すると、前々任校で同窓会をするよとの連絡。嬉しかったな。気持ちをほくほくさせながら、狭いビジネスホテルのベッドで眠りました。

写真は、田川の炭坑節の煙突と僕です。僕の後ろに少しだけ香春岳です。

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