昨日へ     2005年08月09日   明日へ

ナガサキの朝です。8月9日のナガサキです。昨晩、体調が思わしくなかった連れ合いぴよさんも、まあまあ大丈夫な様子です。今朝は、7時から長崎在日朝鮮人の人権を守る主催の「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会」が爆心地公園であるんです。

路面電車で向かいました。地図も見ず、予習していなかった僕は、平和記念公園の階段を昇りました。でも、爆心地は別なところ。階段を降り、蝉がわしわしわしわしと鳴く中を行きました。ヒロシマでも鳴いていた蝉。彼らは、東日本とは違う言葉で鳴いていました。きっと60年前の今朝も、わしわしわしわしと鳴いていたはずです。

長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会には、たくさんの方が参加していました。いろんな方の話に耳を傾け、ユリの花を献花しました。昨日の今日なので、感じたこと。原爆被害ではなく、日本人の差別によって殺された朝鮮の人たちに、僕は花をささげなければいけないということ。かたきをとるとは、世の中を水平にするということ。日常の一つひとつの差別に、毎日きちんと向き合うということ。今日だけの「反省」なら簡単なんだけど、毎日はなかなかしんどい。でも、それが平和を作るということ。

原爆資料館に入りました。家屋の被害や、人数などの資料より、原爆が落とされなかったイメージ:落とされる前の町並み、そして原爆で傷ついた人の表情。それが一番。所詮「記録」は「記録」に過ぎません。それらから、自分につながる何を見出せるかが、問題ですね。焼けただれた子どもの写真を目にしたとき、それは「恐怖」なのか「怒り」なのか「同情」なのか「過去」なのか。僕は、毎日自分を生きていて、自分のつながりの可能性を、時間的にも距離的にも、壁を作らない自由さを持ちたいと思っています。ああ、僕のこの「怒り」と「決意」は、「これから」に生かされなければならい。僕が、生かしていかねばならない。

11時が近づき、爆心地に向かいました。「そのとき」は、爆心地で過ごしたいと思ったからです。青空です。たくさんの人です。みんな、生きています。当然かもしれませんが、ここに集まった皆さんは、大火傷を負ってはいない。ああ、ここに今、ファットボーイが投下されたら、どんなだろう。そんなことも考えました。

長崎への原爆投下は、小倉の補欠でした。しかも、悪天ゆえ中止されそうなところ、雲の切れ目から、ひょいと投下された。その無造作な、粗末な扱われ方は、まさに権力ある者が、庶民へのひょいと手向ける暴挙です。ああ、今日、同じことがなされないとは、残念なことに言い切れない。だから、闘わなくちゃいけないんですね。闘うとは、目をつぶらないこと。見て見ぬふりをしないこと。偽らないこと。

11時02分に平和のための闘いを誓い、平和記念公園に向かいました。記念式典は、満員で入れません。ちょうど小泉首相がしゃべっているところでしたが、よく聞こえませんでした。小泉首相にとって「平和」とは、何なんだろう。「平穏」のことだろうか。競争に勝ち続けることなのだろうか。小泉首相にとって、「戦争」とは、何なんだろう。そして「反省」とは、「歴史」とは、「協力」とは。

使わない予定のレンタカーを使うことにしました。雲仙に行ってみることにしたんです。火山マニア・温泉フリークの僕としては、これまた行かねばならぬ場所。一昨年、ナガサキ8.9に来る予定がありながら、台風で飛行機が飛ばす、断念しました。そのときは、雲仙で泊まる予約までしていたんです。今日、ふいに思い立ち、二人で行ってみることにしました。

思い立つと、あれこれと欲が出てきます。せっかくだから...と、高島そして端島を眺めて行こうと思ったんです。

高島は、炭鉱の町。炭鉱の島。1980年代、高島町立高島小学校の子どもたちが「中曽根さん、閉山にしないでください」と手紙を出したことが、ニュースなどで取り上げられました。僕は、夕張を出て、大学生になっていました。「私たちは、高島が好きです」「友だちがいなくなるのがつらいです」という訴えは、僕の少年期そのままでした。そして、長崎にそういう町があることを知らなかったことを恥じました。本を見つけました。読みました。いつか行きたいと思いました。

端島は、軍艦島と呼ばれています。狭い島には、高層ビルが建てられ、遠くから見ると、まるで軍艦のようなのだと。僕は、中学生のときに買ってもらったNikonFMに付いてきた写真集「ニコンの世界」で、その島を知りました。交換レンズの紹介をする写真集の魚眼レンズのページ2ページ分、紹介されてあったのです。小さな島の人口密度は世界第3位と記されています。そして、そこは炭鉱の島だったと。訪れなくてはならないと思っています。今回は、対岸から眺めるだけ。雲仙には遠回りだけれど、車を南下させました。

僕にとって、炭鉱は山のものなんです。海なら、利尻って感じ。だから、利尻に炭鉱があるって感覚は、どうも変。長崎の炭鉱の話しを聞いたとき、戸惑いがありました。それを確かめるために、カーブだらけの道を行ったんです。

すぐに分かりました。ああ、ありゃ軍艦だわ。写真を撮りました。いろんなところで、車を停めて撮りました。

小浜町から左に入り、さあ今度は雲仙です。火山資料館などあるはずですが、まあ今回はとにかく温泉に入ろうということで、共同浴場を探します。ああ、あった! 湯の里温泉です。大人は100円。子どもは50円。福島・飯坂温泉の共同浴場みたいな佇まいです。手ぬぐいだけ持って、入りました。

硫黄泉です。白いです。熱過ぎず、ぬる過ぎず、いい湯加減。強くなく、淡泊でもなく、とても気立ての良いお湯。愛想笑いでないほほ笑み、みたいな温泉。窓は開け放たれ、いい風が入ります。石鹸が効かないかと思ったら、子どもがメリットシャンプーを使っていました。僕は、浸かるだけです。湯船から上がって、風に吹かれ、地元の方の会話に耳を傾けます。ああ、土地の言葉だね。どうやら高齢な先輩同士、お久しぶりに遇ったような感じの会話でした。西日本では「じゃ」をよく耳にします。東北だと「べ」ですね。曇りガラスの向こうは、女風呂。連れ合いぴよさんが、おしゃべりしている声が聞こえてきます。これって、結構幸せな気持ちになる瞬間ですな。

温泉を出て、ふー!っとして、長崎に戻ります。ああ、ここで泊まっちゃうと最高なんだけどなぁという気持ち。またいつか来ましょう。

長崎は、もう夜です。レンタカーをレンタカー屋さんに置き、路面電車で松山町です。ぴよさんは、灯籠流しを見に行きます。僕は、平和公園に行ってみます。そして、すぐに待ち合わせです。灯籠流しはどうだった?と、待ち合わせ場所に行き、川を見に行きました。舟が引く感じなんですね。広島とはちょっと違います。流してしまうと大変だからなのかもしれません。

じゃ、次は平和公園ね。平和公園では、「平和の灯」に輝いていました。牛乳パックでかたどったロウソクに、平和へのメッセージを綴った小・中学生の作品が、道に並べられ、輝いていたのです。親子連れがたくさんいました。「あったよー!」と、自分の作品を見つける子。どれどれとカメラを持ってやってくるおうちの方。やさしい光を放つのが、一人ひとりの子どもたちの作品であるというのは、とてもとても素敵なこと。未来とは、そういうことなのかもしれない。そんなことを思いました。

灯に照らされた池の周りでは、コンサート。しばらく行くと、テレビの中継。そして、ナガサキ原爆・平和のシンボルとも言える像。像の前では、カトリックのミサが行われていました。大勢の方の賛美歌には、感動しました。マイクや伴奏などではなく、人の声が、こんなに温かなものなのかと、子どもたちの歌声とは違うんだけど、それと似た感動でした。神父さんの話し方も、プロテスタントとは違うのですね。祈りは、穏やかな中、行われていました。

ゆっくりゆっくり歩き、公園を後にしました。遅い夕食を、おしゃれな居酒屋でとりました。明日は、帰路です。夏が終わる寂しさを覚えました。

写真は、平和の灯です。

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