昨日へ     2005年08月10日   明日へ

長崎で目を覚ましました。シャワーを浴びました。この旅では、毎日3回はシャワーでした。毎日洗濯をしました。ウィンドブレーカーと半袖は、全然登場せず、ずっとタンクトップです。

チェックアウトをしました。荷物は預かってもらいました。ホテルを出て、出島の資料館を覗き、朝の中華街を通り、坂の多い町並みを歩きました。「岡まさはる記念 長崎平和資料館」に向かいます。

26聖人記念館の近く、坂道をもう少し上ったところに「岡まさはる記念 長崎平和資料館」(長崎市西坂町9の4:JR長崎駅より歩いて5分)はありました。NPO法人が運営する資料館です。パンフレットにある「設立の趣旨」には、こう書かれています。

《日本の侵略と戦争の犠牲となった外国の人々は、戦後50年たっても何ら償われることなく見捨てられてきました。加害の歴史は隠されてきたからです。加害者が被害者にお詫びも償いもしないという無責任な態度ほど国際的な信頼を裏切る行為はありません。
 この平和資料館は、日本の無責任な現状の告発に生涯を捧げた故岡正治氏の遺志を継ぎ、史実に基づいて日本の加害責任を訴えようと市民の手で設立されました。政治、社会、文化の担い手は、たとえ小さく見えようとも一人ひとりの市民です。当館を訪れる一人ひとりが、加害の真実を知るとともに被害者の痛みに思いを馳せ、一日も早い戦後補償の実現と非戦の誓いのために献身されることを願ってやみません。》

扉を開けると、見学している人の多くは、若者でした。それが、僕はとても嬉しかった! 熱心に説明を聴いていました。メモをして、写真を撮り、互いに感想を話し合っていました。ああ、それが、嬉しい! 「平和」のためのアクションの参加者が、僕よりも先輩な方ばかりということって、そんなに稀ではないんです。先輩方は「これから」のために闘います。先輩方だけの闘いでは、未来は拓きにくい。若者が「これから」を拓くことがとても大切と、つくづく感じるここ数年です。

展示を見ながら、中学生のときに本多勝一さんの本を一所懸命読んだことを思い出しました。「中国の旅」は、強烈だった! そして、夕張で暮らす僕にとって、それはリアルでした。強制連行をした人たちが暮らす町だったのですから。何が差別なのか、教えられなければ「普通」と思ってしまうような町でもあったのですから。

「岡まさはる記念 長崎平和資料館」の展示の中で、とても心に残ったのは、戦時中の学校教育です。《ヒノマル・キミガヨ・ニッポンゴ》 言葉を奪うことは、文化を奪うこと。それは、暴力。タイの戦争記念館に刻まれている言葉が紹介されていました。「Forgive But Not Forget」(許そう、しかし忘れまい) 

以前、「いじめ」の話を聞いたことがあります。孤立させられ差別されていた子に、ひどいことを言う子は、こう弁解していたそうです。「だって、こいつ、そう言ったときだって、笑ってたんだもん」 ひどいことを言う子にとって、差別された子の「笑い」は、「許可」や「承諾」や「受け入れ」と映ったのですね。けれど、ひどいことを言う子は、一人ではそうしない。みんながするから、大丈夫という気持ちになる。僕は、日本が自らの歴史を、驕ってはいないかと考えます。殴られた人が「それは、昔のことだよ」と言うなら分かる。殴った人が「それは、昔のことだよ」は、通じない。

《ヒノマル・キミガヨ・ニッポンゴ》 また同じ過ちを繰り返さないように、日常の中で闘っていかなくてはなりません。闘い役とか、闘い担当とか、闘い屋さんはいないので、そして任せるわけにゃあ行かないので、みんなが日々の中で、生かされないように生きていくんです。

「岡まさはる記念 長崎平和資料館」を出て、坂道を降り、レンタカー屋さんに着きました。車に乗って、ホテルによって荷物をもらい、さよなら長崎。とは言うものの、欲張りな僕は、少し遠回り。諌早湾を見るために、右折です。

長良川を見に行ったときもそうです。沙流川も、そう。川を堰き止める人間の建造物は、絶対に自然とは相いれない。「魚道を作りました」なんて、人間の言い訳です。それでOKを出してしまう浅はかさは、人間の営みがとても薄っぺらいことを表しています。僕は、〜教・〜宗という宗派に属していませんが、敬虔な信仰者だと、自負しています。森の神さま教みたいな感じかな? ネイティブアメリカンの話は、すごくよく分かる。アイヌも、同じ。そんな僕としては、人間よ謙虚にあれ!と、あらためて感じた諌早湾の建造物でした。

吉野ヶ里遺跡にも、寄りたかったのですが、また今度。レンタカーで、福岡空港に着きました。三菱コルト、三日間ありがとうね。

空港で、皿うどんを食べ、ビールを飲みました。離陸するとき、少し見えていた夕焼けは、すぐに闇となり、新聞を読んでいるうちに、仙台空港に着きました。ああ、東北だ。
もう館腰行のバスはありません。タクシーで館腰駅へ。外国から来た青年が、案内板とメモ用紙をしきりに見ていたので、声を掛けました。福島に行く彼は、とても日本語が上手でした。どうやら大丈夫とのこと。僕の電車のほうが先。向かいのホームで手を振ってくれて、ありがとうね。

仙台で乗り換えて、いつもの介護帰りの深夜電車で、松山町に到着。ふぅー、いい旅だった。連れ合いぴよさん、そしてつぶらやたんちゃん、ありがとうね。

写真は、「岡まさはる記念 長崎平和資料館」で撮った1枚です。シンプルだけど、こうでなければ「平和」は遠いのです。

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