花山少年自然の家から、一昨日電話がありました。払わなきゃいけない代金を払わないで帰ってしまったとのことでした。ごめんなさいでした。手続きが難しい方法よりも、いっそ行ったほうがよさそうだったので、今日はバイクで花山に向かいました。
考えてみると、この夏はいわゆるツーリングらしいツーリングをしていません。忙しい毎日だなぁと思いました。そして、無理をしなくなったのかもなぁとも思いました。
花山少年自然の家では、ちょうどお昼時でした。食堂で並ぶ子どもたち、別れのつどいをしている子どもたち、たくさん並ぶバス...。数日前が、とても懐かしく感じられました。そして、もしも僕が今の仕事をやめること(やめさせられること)があったら、こういう佇まいは、なかなかやりきれないだろうなぁと、考えました。
申し訳ございませんでしたと謝罪し、手続きをし、バイクで山を下りました。まっすぐ帰るのがもったいなかったので、鴬沢に向かいました。
何度も行ったマインパークには行かず、町の鉱山資料館を訪れました。お客さんは全然いません。草取りをしていた職員の方が、受け付けをしてくれて、ビデオのスイッチを入れてくれました。細倉鉱山の歴史などのビデオ。亜鉛や鉛などを採掘していた鉱山。やっぱり炭鉱とは違うなーと、勉強になりましたよ。
でも、同じところもありました。展示室を見ていて、はっと気付いたんです。「友子制度」のことです。これは、炭鉱にもありました。小学校の社会科でも学習しました。炭鉱夫の互助会制度。いわゆる「親分・子分」の制度。契りの杯を、夕張の歴史資料館で見た記憶があります。
さて、その「友子制度」が、労働組合ができたのでなくなったとここでは記されていました。なーるほど。そして、ふと考えたのは、その労働組合もなくなってしまったら、どうなってしまうのだろうかということ。助け合い、支え合い、理不尽なことには、みんなで力を合わせて闘う繋がりあい。それがなくなれば、嵐の中、一人一人バラバラに立てと、隣の誰かが吹き飛ばされても、自分だけを生き永らえさせるだけしか考えないと...そうなってしまうのかもしれない。そんなことを思いました。
雨がぽつりぽつりと降ってきそうな道を帰りながら、明日の選挙のことを考えました。
写真は、細倉での一枚です。