昨日へ     2005年09月19日   明日へ

今日は、伏見忠さんの講演会です。

僕は、一応実行委員なので、一時に宮城県民会館に着きました。会場に大きな柱が2本あって、どうもうまくない。ということで、横長に配置することを提案。机を90度回転させて、halfサークル。僕的にはいい感じ。伏見さんが到着。あれこれとおしゃべりをしました。実行委員会で話されていた話題のことなど話しながら、少しかでも和んでもらえれば、よかったかな? 僕が講演とか話題提供とかするときって、その場の雰囲気とかいつもの話題とか、知りたくなります。控え室なんか用意されても、とにかく早くに会場と参加者の顔を見たいんですよね。そんなこと思いながら、開場の準備をしました。

そして、講演会。タイトルは「卒業式での「日の丸・君が代」の強制に反対して処分された伏見さんの話を聞く会」。「日の丸・君が代」強制反対闘争を最先頭で闘う伏見さんなので、東京都の10.23通達の話あたりで始まるのかなと思ったら、違いました。高校で働いている伏見さんなのですが、私は正確には「教員」とは別な職種ということになる...そういう話から始まりました。生物や化学の実験をするときの助手をしているということです。そして、学校にはいろんな職種の人が仕事をしているけれど、そこには差別があるということ。影の部分で支えている裏方になっているということ。差別を意識ことを誇りにしている輝きが、そこにはありました。なるほど! 紋切り型な話ではなく、自分の言葉で話すという姿勢に、僕は感動しましたよ。こういうのって、大切だなぁ。

東京都の10.23通達は、歴史に残る、恥ずかしいファシズムです。それに、多くの人が疑問と憤りを感じ、抵抗しているのもとても頷けること。しかし、東京都は10.23通達を、そのままにしています。伏見さんの講演を聞きながら、僕はいろんなことを考えましたよ。

講演後の交流会で、ビールを飲みながら話したことでもあるのですが、どうして伏見さんはこんなにも明るく前向きに闘えるかということ。僕は、どちらかというと「闘士」と「普通の市民」と一線を引きたくないのです。だから、伏見さんの隙を突きたい思いがありました。講演前にそんな話もしたんです。でも、そういうんじゃないなぁと、感じたとき思ったんです、喧嘩がなくなったら平和じゃないって。

権力の理不尽に抵抗して闘うじゃないですか。その闘いは、いつかなくなるだろうか? たぶんなくならないんです。そしてなくなってはならないんです。誰の不平も不満もない世の中って、きっとない。一見そういう事態が成立したとしても、それは誰かが支配して「平和」を演出しているたげに過ぎない。闘うことに疲れることもある僕としては、自ら展望のない、ゴールして安穏とするイメージをうち捨てるようですが、そんなことを思ったんです。

連れ合いのぴよさんは、農耕の人です。こつこつとした、堅実なその営みはアリさんなんです。僕は、行き当たりばったりで、つくづく狩猟の人。まずは今を考え、貯蓄とか我慢でごまかしたくないぞという、まあキリギリスなんです。でね、闘いは、まさにキリギリス的な正義なんです。平穏である今を、平穏にし続けようと、我慢はしないんだなっ。すると、まるで毎日が闘いですわ。よくないことにはよくないと言うのだから。だから、なかなか疲れる。でも、嘘はない。

伏見さんの講演を聞きながら、闘うというライフワークも、ありだなと気付きました。喧嘩も闘いも、文句もなくなったとき、そこには何か間違いがあるに違いない。そんな目は、きっと破綻的ではなく、一言大らかと解されるべきでしょう。

今回の講演会でまた、新たに何名かの方とお知り合いになりました。人の輪が、実態を伴って広がっていくことは、素直に喜びたいものですね。感謝です。みなさん、また会いましょう。

写真は、昨日の写真。古いサークルともの木の人なら、たぶん懐かしい、向山の公園での一枚です。

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