夕方から仙台に向かいます。東北大学・有朋寮の「闘って強制執行粉砕したぞ!控訴審闘争に勝利しよう!10/1闘争報告集会」に参加するためです。今日も、学生たちの発言を聞きながら、いろんなことを考えました。
「解放区」という言葉。
僕の学生時代は1980年代。独りぼっちで、宮城教育大学のキャンパスで「天皇Xデー」の立て看を書きながら、ああせめて10年早く生まれてきたら...と思うことがありました。それは学生運動が「派手」だった1960年代後期のいわゆる全共闘運動への、アイドル歌手のフアンクラブ的な憧れです。1980年代の僕は孤独だけど、あの頃なら、きっと理解してくれる仲間がいっぱいいたのではないかという、ないものねだり。そんなのがありました。...今の僕は、そういう感傷は、全然ないんだけどね。
さて、全共闘闘争の記録みたいなのを、テレビとかで知ったわけですが、その中で「解放区」という言葉は、印象深いんです。「コミューン」って言い方も、耳に残っていますなぁ。何というのでしょう、支配されない自治。これは、いわゆる「管理教育」に対抗しようとする「がっこうかいほうしんぶん」あたりで、僕は同時代的な着地をするのですけどね。今は社民党国会議員の保坂展人さんが、若者だった頃。そう、尾崎豊がBGMって時代ですなっ。
今日、有朋寮の若者たちの話を聞きながら、ああ自治寮とは、「解放区」なんだと今さらながらに思ったんです。その「自治」は、今や権力の攻撃にさらされています。けれども、若者たちは、自分の言葉で、自分の思いを語り、地域の若者とも仲間になりながら、権力者たちと対峙し、先日強制執行を止めるという成果を上げました。ああ、すごいことだよ! 戦車に素手で向かった天安門の青年を思い出すよ。
そんな「解放区」の闘いは、きっと広がります。ここに、「解放区」の種火があり、あちこちに「おき」はあるのです。炎は、風を呼び、烽火を上げ、より大きな炎として結ばれる。僕は、そんな展開を期待しています。僕もまた一つの「種火」または「おき」。たくさんの出会いをしながら、きっと大きな炎を作ります。
「解放区」を、権力者は「無法地帯」と呼んでいたような記憶があります。当時も今日も「法」が「無」いのは、シャバです。権力者がやりたい放題。人間の暮らすべき「秩序」は、むしろ「解放区」にあるのです。そんなことを考えました。
いやはや有朋寮の若者たちから、いつもいつも学ぶことが多いねぇ。感謝です。
今日、集会に出て、寮委員長が替わることを知りました。これまで委員長だったOさんが、寮を離れるということでした。それは、闘いのより一層の前進と拡大のためなんだけど、正直言って、寂しくなります。Oさんの爽やかな笑顔と、気持ちいい笑い声、そして何より自分の言葉で語ろうとする姿が、僕はとても素敵だなぁと感じていたからです。Oさん、これからもお元気で。そして、いつか呑みましょうね!
人の痛みが分かるから、闘います。人の痛みが分かるうちは、きっと大丈夫。人間でいられる。人の痛みが分かる人は、きっと人の喜びも分かる。感動もできる。そして、人の痛み・喜びが分かる人は、きっと誰かに、自分の痛み・喜びを共感してもらえる。たぶん、人の幸せは、自分だけでは、作ることができない。権力者が暴力を振るい、何とも言えない不安が日々を覆い、自分の全てをお金に買いたたかれそうな今日、闘うことは、人間であり続ける最後の暮らし方なのかもしれない。そんなことを、遅くなった帰宅の電車の中、考えました。
写真は、昨日劇の練習の後で撮った、劇「桃太郎」のキャスト集合です。