昨日へ     2005年10月05日   明日へ

指導主事訪問の日です。

僕は、2時間目に国語の授業を見せます。1時間目は、保健の授業。感覚を研ぎ澄ます時間にしました。

人間には五感があるというけど、何々だか分かる? 視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚。視覚と聴覚は、常に意識しているし、測ることさえしているけれど、他の3つは、測ったりしていないよね。

みんなは、毒きのこの見分け方を知っている? (食べれば分かるという反応あって、みんなでわいわい)図鑑に載っているのを覚えるという手もある。でもね、元々は自分の体が知っていたようだよ。毒や危険などを見分ける本能。野生と言ってもいい。そんな野生を、私たちは衰えさせてしまった。牧場の先生に話を聞くことがあったんだけど、牛や馬が食べる植物には毒がないんだって。教えられるわけでもないのに、自分で分かるんだって。

さて、今日はそんな「感覚」の野生を研ぎ澄ますんだよ。...ということで、目隠しをした人が、何人かと握手して、最初に示した「当たり」の人を見つけるということを、してみました。NHKの授業番組でやっていたのを、少し改造したんです。いやはや、みんなこういうのは、大好きです。英語の時間に、目をつぶってと言われただけで、わいわいと嬉しそうだったくらいですもんねー。

最初は、3人と握手だったのを、段々に増やしました。結構当たります。すると、嬉しいんだよね。温かさで分かる人も、ごつごつ感で分かる人も、爪の長さで分かる人もいました。なるほどね。

国語の時間は、まあいつも通りの進め方。よそ行きではありません。「貧しい人は美しい」を、言い換えるというまとめ方をしました。すると「貧しい人はやさしい」等、予想していたよりは多岐に及び、驚きました。ふー。

けれども、授業の検討会では、いくつも真っ当なところで指摘を受けました。なるほどーと、勉強しました。

たとえば、説明のし過ぎだったこと。もっと、子どもたちを信用して待っていていいですよ...など。また、美しいというのはテレサが選んだ言葉だから、それを別な言葉に置き換えるのは、どうかと思いますと言われ、少し恥ずかしい気持ちになりました。道徳の時間なんだか、国語なんだかという不安や、漢字の学習を計画的に無理なくさせる方法など、いろいろ相談もしました。

若い頃の僕は、尖っていたと、よく振り返ることがありましたが、それは「尖っていた」のではなく、「不安だった」のだと、この頃思います。頑張って頑張って主張していないと、自分が流されると思う不安。だから、とてもとても(今より)独善的で、また周囲にたくさんの要求を突きつけていました。若い頃の僕を知っている人には「丸くなった」と言われることがありますが、それはきっと、昔よりは「不安」でなくなったからなのかもしれません。

だから、今日も、そんまんまの授業を見せ、そんまんまによくなかったところを受け入れることができました。そんなところを、自分で気付き、少し嬉しいな。嬉しいけれど...学習指導はまだまだ力不足。がんばがんばですなっ。

写真は、3年生の図工の授業です。

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