昨日へ     2005年10月22日   明日へ

学習発表会の朝です。いつもよりも早くに、家を出ます。父さんと連れ合いぴよさんも一緒です。さあ、長い一日の始まりです。

四輪車で学校に到着。二人とも学校を外から見ることはあっても、入るのは初めてです。職員室に顔を出し、そしてあちこちをうろうろ見学です。みんな、僕の父さんが来ることは知っていて、「○っ○ーのお父さんだ」「○っ○ーのお父さんだ」と注目&人だかりです。まあ人だかりと言っても、全校児童81名で、その半分もこないでのことですけどね。

展示してある絵や、先日分解したカメラの部品などを見たりしていた父さんとぴよさん。僕が職員室で打ち合わせしている時間に、5年生教室でおみやげの披露をしました。おみやげは、箱に整理して入れてきた化石なのですが、父さんは「何だと思う?」という具合に授業っぽく披露したらしいです。おみやげ解説の手紙も、日直に渡し、なんかいい感じだったようです。いやはや、父さんに付き合ってくれた5年生に感謝。5年生に話してくれた父さんに感謝。それを見守ってくれたぴよさんに感謝。僕は、幸せ者ですわ。

さあ、学習発表会が始まりました。僕は、照明担当です。メインの照明を操るために、放送席の隣に立ちます。ここがいい場所なんです!舞台に近いこともありますが、お客さんの表情が、舞台の照明に照らされて、よく見えるんです。

3・4年生の歌声に、どのくらいハンカチが使われたかなんて、分かっちゃうんです。なまじ保護者の方の顔と名前が分かるので、子どもを見つめる親の表情に、これまた感動したりするんです。

いよいよ「桃太郎」! 僕は、舞台裏に行き、声を掛けます。軽い冗談を飛ばし、一つのチームになる幕が切られます。いつもは、わいわいと声を出して遊ぶ場面で、声があまり聞こえません。むむっ、緊張しておるな! でも、一つひとつに会場の皆さんは、大いに反応してくれて、ああ嬉しいぞ! 照明と音響を行ったり来たりしながらなので、さすがに観客の皆さんの顔はよく見られません。「春よ、こい」では、またしてもギター伴奏の出だしが伝わりきらず、ちょっとかっこ悪かった。ごめんなさい、みんな。最後の「これが私の生きる道」でも、ついつい一部ギター伴奏を途切らせてしまった。ごめんごめん、失敗は僕ばかりだ。音響も、すぐに頭出しができなくて、余計なセリフを言ってもらったりして、みんなに助けられたよ。ありがとう。まんずまんず、大きな拍手で、よかったな。ありがとう。ありがとう。

幕が降り、舞台裏に入り「よかったよ!」と声を掛けます。この瞬間のために、頑張ってきたんだよなぁという感覚がありますね。

全てが終わり、灯が付き、片付けをします。みんなで働きました。ぴよさんも、いっぱいやってくれてありがとうね。

一通り仕事を終えて、5・6年生で体育館の中央に車座になりました。そう、初めは車座だったんです。「初めはこんな感じで練習だったね」と言いながら、これまでの取り組みのまとめです。

昨日語ったので、短めに。いつものようにみんなに手を上げてもらって調査をしました。「劇の練習は、長かったですか? 短かったですか?」 ほとんどの人が短かったと感じていました。「ああ、もっとやりたかったなあ」という声が聞こえて、僕は少し泣きそうになりそうだったよ。ああ、いい時間だったんだな。この時間・この経験は、お金で買うことはできないね。今日もまた、みんなに「ありがとうございました」と言い、いつものじゃんけんで代表者を決め、Тちゃんの気持ちいい挨拶で、おしまい。さようなら。

さて、これから職員室ではお昼ごはんというところなのですが、僕は父さんとぴよさんと一緒に仙台に向かいます。根津公子さん講演会&恣意的な長期特別研修をなくす会総会なんです。色麻の道を行き、コンビニでお昼ご飯を買い、東北道に乗り、急ぎました。会場の戦災復興記念館には、1時過ぎには到着しました。ああ、思ったよりも遅刻じゃなくてよかった!

50名くらいの会場に40名の参加者。階段状の研修室には、先日作ったバック絵がちょうどよく収まっていて、ほっとしました。久しぶりの顔も、初めてお会いする方もいて、嬉しくなりました。学習発表会がいろんな学校である今日だったので、さすがに教職員の数は少なく、それが残念でした。

根津公子さんの講演は、思った通り、しっとりしたものでした。時間をもっと取れるとよかったなぁと感じました。今日の講演会のちらしに載せた根津さん紹介の文章をここに載せておきましょう。

私は、根津さんって、バリバリと大きな声で話す方だと思っていました。なぜなら、おかしいことをおかしいと言い、処分や嫌がらせに屈せずに闘っている方と聞いていたからです。

八王子市立石川中学校で、校長が職員会議の決定を破り、卒業式に日の丸を揚げ、生徒が「下ろして」と叫ぶ混乱の中、下ろしたのは根津さんでした。減給処分でした。「自分の頭で考えよう」というプリントを作り、訓告処分されたのも根津さん。石川中学校での不当な処分について、裁判に訴えました。多摩市立多摩中学校で、従軍慰安婦の授業をしたことをもって「指導力不足」とされ、長期特別研修に送られそうになりました。分限免職まで狙うものでしたが、多くの仲間の支援で跳ね返しました。けれども、職務命令に従わなかったと「腹いせ・こじつけ」減給処分。この件でも、人事委員会そして裁判。通勤往復4時間かかる調布市立調布中学校にみせしめ異動。このことでも、根津さんは訴えます。現在、立川市立立川第二中学校に勤務していますが、授業は監視付きです。そしてこの春の入学式で「君が代」斉唱時に起立しなかったとして、停職一ヶ月処分。しかし、「私が起立しなかったことで迷惑を受けた人はいますか?」「私はまちがっていると思うことには、命令でもしたがえないのです」と書いたプラカードを持ち、朝の通学時から夕方の下校時まで正門前で座り込みを一ヶ月続けた根津さんなんです。

すごい! 強い!って感じ。でもね、根津さんにお会いして、私は驚きました。普通の先生なんですもん。何となく「特別な人」みたいなイメージでいたんですけど、どんな子の話もきちんと聞いてくれる感じの、温かな先生でした。ヒロシマでお話を聴く機会がありました。そのとき、「君が代」斉唱のときに立とうかと思ったけれど着席していたとおっしゃっていました。ああ、闘う先輩も迷ったりするんだぁと、私は驚きました。やっぱりみんな、辛かったり不安になったりするんですね。でも、仲間がいるから、そして自分自身を裏切りたくないから、良心に正直に行動する。私は、根津さんのお話を聴き、ほっとしました。そして、それが私の勇気になっています。

闘っている人」は、特別じゃあない。みんな、普通な市民なんです。誰に命令されてやっているわけじゃないしね。だから、誰もが「闘う人」になり得るんです。そう、あなたも!自分に誠実に嘘を付かず支配されず暮らしていくということ。それは、簡単じゃありません。けれども、根津さんのお話を聴いたら、理想を簡単にあきらめずにやっていけるのではないかと、希望はあるなと、感じられるのではないでしょうか。ぜひ、10月22日仙台市戦災復興記念館でお会いしましょう。

根津さんが、どんな弾圧(彼女は「弾圧」という言葉は使わなかったと思います)を受けていたか、どんな子どもたち・仲間と共に歩んできたかをお話ししました。今回も印象的なのは、根津さんは根津さんのことばで語るのだということ。どこかから聞いてきたような文字の言葉ではなく、自分の感情や思いを表現する言葉。感動させようとする言葉には下心があって、僕はそれに気付いてしまい、げんなりとします。けれども、下心のない言葉は、人を感動させるものなのですね。

会場からも、自分の言葉で間奏や質問がされて、ああよかったと思いました。

戸田裁判について、原告から・弁護団から報告があり、後半は恣意的な長期特別研修をなくす会の総会。参加者は少なかったのですが、現在闘っている仲間からの訴えなどあり、充実したものでした。ここでは詳細を載せませんが、今後の活動の展開について、報告ではなく、討論がいくばくながらもできたことはよかったと思っています。今日参加された皆さん、ありがとうございました。

交流会です。いつもの居酒屋です。これがなかなかの大勢で盛り上がりました。いろんなお話がされて、まさに交流する会でした。意見の相違を認めつつ、思いをぶつけ合い、けれども仲間であることを強くしていくつながり。これからも、皆さん、どうぞよろしくお願いします。

途中から別行動だった父さんと一緒に、3人で家に帰りました。ああ、今日も充実した一日じゃったわい。

写真は、今日の講演会での一枚です。

昨日へ        明日へ

はじめのページ