昨日へ     2005年11月01日   明日へ

共謀罪の新設に、僕は反対です。

なぜなら、それは人の自由を妨げるから。自由が制限されると、人はどんどん暗くなる、つまらなくなる、息が詰まる。自由があるから、人は明るくなる、おもしろくなる、大きな声で楽しく笑える。

「不敬罪」のことを思います。天皇の悪口を言うことが「罪」になるということ。17年前にもありましたよ。天皇ヒロヒトが死にそうになったとき、表現の「自粛」が瞬く間に広がり、僕は風通しの悪さと、人の「物分かりのよさ」に、辟易しました。学生だった僕は、キャンパスに立て看板を出して、ちらしを撒いて、教室の黒板の隅にアピールをチョークで書きながら、とにかく「自由」を表現しようとしました。ああ、青年だった頃の僕は、今を見て、どう思う?

問題は、「自粛」なのです。共謀罪が新設されても、きっと「市民生活」に大きな変化はないのです。ただ、権力に異を唱えようとすることに、目に見えて臆病になるのだと思います。弾圧が加えられる前に、自粛し口をつぐむ...そういう今日既にある空気が濃くなるということなのだと思います。共謀罪は、僕を含む物言う人を弾圧するでしょう。そして、それはより一層、物言うことを特別な(愚かな)こととして規定していきます。

「そんなこと言うと、ヤバイよ」という囁き。「将来を考えなさい」というたしなめ。少しでも無難に、自分だけはほどほど平和に生きていくという...幸せ追求。誰かが苦しいときに助けないことは、自分が助けを求めたとき、誰も手を差し伸べてくれないのだということを、考えないのは、信仰のなさだけから来ているのでしょうか。

率直に言って、共謀罪なんて新設しなくたって、十分に「今日」は権力の成すがままに振る舞わせています。それでも尚一層、権力に異を唱えることを禁じるのは、今以上に「異を唱えられるようなこと」を準備しているからでしょうか。それとも、今の情況に甘んじない人々の反撃が高まることを恐れてのことでしょうか。

僕は、権力を持つ者を信用しません。僕は、自由でありたい。今、制限されているあれこれを、みんなで越えられるといいなと思っています。共謀罪の新設に、僕は反対します。あなたも、回りの人に話しかけてくださいね。

写真は、10/29の上野の猫です。

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