昨日へ     2005年12月08日   明日へ

先日、すごく久しぶりに青葉通りの吉野家に入りました。

僕が生まれて初めて牛肉を食べた(知って食べた)のは、ここなんです。学生時代のことでした。親に食べさせないで、自分独りで食べることを少し申し訳なく感じながら、牛乳臭い肉を食べました。中島みゆきの「狼になりたい」という曲が頭に流れました。

さて、久しぶりの吉野家には、テーブル席が出来ていました。僕は、カウンターに座ったのですが、目の前にテーブル席。その席にいる家族を眺めながら豚丼が来るのを待ち、その席にいる家族を眺めながら豚丼を食べました。人を眺めるのって、昔から好きなのですが、その日もいろいろ考えました。率直に言って「貧困」のことを。

金持ちと金持たずの違いは、何なんでしょう。金持ちが「幸せ」とは限りません。けれども、現代社会において「金」はないよりもあったほうが「豊か」に過ごせるかのようです。いや「金」があったほうがきっといいんです。だって、なければ暮らしていけないのですから。

その家族の夫婦と見えるお二人は、僕よりも年上のように見えました。歯が半数以上ない方がいました。話題は、ギャンブルのことでした。子どもは、小学1年生にそろそろなるかな?というくらいの子。その子は、箸ではなくフォークでごはんを食べていました。僕は、それがとても気になりました。けれども、食べ終わって「ごちそうさまでした」と言ったので、ほっとしました。街やスーパーで、かなり大きいけれどベビーカー(チャイルドカー?)に乗っている子を見かけることが、この頃多いです。悪くないんだけど、気になります。子どもと歩くよりも、きっとカーに乗せてしまったほうが、楽です。子どももそうなのかもしれません。逆に言うなら、子どもと一緒に歩くのは面倒くさいです。大変です。乗せてしまえば、スムーズなんです。...あの子はなぜお箸を使わなかったんだろう? 今更聞けないけれど、とても気になっています。

これからますます貧富の差は広がっていくかもしれません。嫌だなぁ。公平な社会がいい。誰かだけが特別扱いされる社会は、嫌だよ。

昔「受験戦争」という言葉がありました。今、聞かないですね。「管理教育」って言葉も同じ。なぜなんだろう? それは、ひょっとして「戦争」が普通で、「管理」が日常になったからなのかもしれません。戦争って、迷彩色の服を着て武器を手にした「兵士」が、ジャングルとかでするようなイメージ、ありません? 

いえいえ、戦争って、スーツを着たビジネスマンも、九九を習い始めた小学生も、みのもんたのテレビを眺めている「おかあさん」も、みーんな、やっているかもしれない。

戦場で、負傷した人が二人いたら、軽いほうの人から治すと聞いたことがあります。ああ、どうしようもなくなった人は、治る見込みのない人は、土砂降りのジャングルのドロドロの中に、置いて行かれるのでしょうか。置き去りにするときの言い訳は「こいつを助けようとしたら、遅れを取ってしまう。遅れを取ったら、俺が打たれるかもしれない。どうせ助けようとしても、長くはないに違いない」でしょうか。はたまた「俺が打たれたら、きっと家族が悲しむ。だから、俺は自分を守らなければ!」「打たれたのは、あいつが悪いのだ。あいつが失敗したから、仕方ないんだ!」でしょうか。

誰かが粗末に扱われるのを、当然のようにしてしまう空気があるなら、そうではないよという風を作らなきゃいけないですね。「世の中」を相手に僕一人の声は、とても無力であるかのようですが、「無力であると思い込む」そんな諦めを伝播させないことが、まず第一なのだと思っています。今こそ「自分のことば」に血を通わせるときですなっ。まっ、軽やかに生きたいものです。ジョンレノンさん、見守っていてくださいね。

写真は、12/03の上野の人間を見ている猫です。

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